「このソースは、市販のを温めただけなんだ」

 弓月が肩を竦めてタネ明かしをする。

 「ブラウンソースまで作ってたら、明日の
夕食になっちゃうよ。でも、こんな美味しい
オムライス、本当に初めて食べた」

 トロトロの卵にもしっかり味が付いていて、
薄味のケチャップライスをきちんと惹き立て
いる。オムライスの主役は卵なのだろうから、
卵の味と食感が絶妙なこのオムライスは、
お店に出してもきっと、喜ばれるだろう。

 この美味しすぎる弓月のオムライスは、
僕の良く知る、母のオムライスとは、まったく
違っていた。

 『手抜きばっかりで、ごめんね』

 そう言いながら、母は忙しい時間の合間に、
いつも手料理を作ってくれた。
 肉が入っていない焼きそばとか、具が少ない
ハヤシライスとか、育ち盛りの子供には少々
物足りなかったけれど……

 それでも、僕はちゃんと幸せで、心も身体も
満たされていた。中でも、母が作るオムライス
は玉ねぎが大きくて、ちょっと炒め方が足り
なくて、卵がカラカラで、お世辞にも「美味し
い」とは言えなかったのだけど……



-----だからかも知れない。



今も、いちばん心に残っているのは、母の
そのオムライスで、仕事から帰ってきて慌てて
作る母の背中が、僕は大好きだった。

でも、もう二度と、あのオムライスは食べら
れない。当たり前だけど、あまり美味しいとは
言えない母のオムライスは、もう、この世の
どこにもないのだ。


突然、何かが喉を突き上げてきて、僕はスプー
ンを止めた。飲み込もうとしても、オムライス
が喉につっかかって、うまくいかない。

口に溜めたまま、僕は噛むのをやめた。

「……和臣さん?」

僕の様子に気付いて、弓月が眉を顰める。
けれど僕は、彼女を向くことも、その声に答え
ることもできなかった。急に瞼が熱くなって、
視界がボヤける。温かな滴が、頬を伝って一粒、
また一粒と落ちてしまう。



-----僕は、母が好きだった。

-----ずっと、大好きだった。



だから、許せなかったのかも知れない。

ずっと、二人きりで生きてきたのに、ある日
突然、あの男を連れてきて………

「一緒に暮らそう」と僕に言った。

僕は、最期まで母を「妻」にしようとしなかっ
たあの男が嫌いで、母を大切にしなかったあの
男が大嫌いで、そうして、母を嫌いになった。
嫌いになったと、思い込んでいた。

僕自身の「心」を守るために………