「キレイに咲いてるね」

 ベッド横のナイトテーブルに飾ってある、
青紫色のリンドウを眺めて、僕は弓月に話しか
けた。弓月は静かに寝息を立てたまま、何も返事
は返ってこない。
 僕はたった今、父親から受け取ったばかりの
リンドウを、フラワーベースにそっと差し込んだ。

 弓月の側にいたいと、父親に告げたあの夜から
ずっと、僕は弓月の部屋に通っている。

 仕事を終え、いつも弓月と待ち合わせをしてい
た、あのカフェの前を少しだけ通り過ぎ、花屋で
1輪のリンドウを買ってこの部屋を訪れるのが僕
の日課となっていて……もう、花はフラワーベー
スから溢れようとしていた。

 「あなたの悲しみに寄り添う」という、やや
特徴的なリンドウの花言葉は、図書館の花図鑑
で知った。

 いまの僕の心情を、そのまま花言葉にしたかの
ようなこの花を、毎日弓月に届けたい。
 その真意を知ってか知らでか、父親はいつも
その花を用意して僕を待ってくれていた。

 僕は机の椅子を引っ張り出して、弓月の枕元
に座った。青白い顔をして眠る、弓月の頬を指で
撫でる。瞼は閉じたまま、動かない。

 「早く起きないと、花で埋もれちゃうよ」

 僕はそう呟いて、もう一度頬を撫でた。

 その時、ふと、見覚えのある紙袋が視界に入っ
た。いつか、病院の一室で見た、文房具の紙袋だ。

 無造作に、ベッドの向こう側の机に置かれた
それは、あの男がこの部屋を訪れたのだという
事実を、残酷に僕に伝えた。

 もしかしたら、あの男も触れたのだろうか?
 眠る弓月に、こうして話しかけながら……

 嫉妬に、胸が焦げないわけがない。
 息が苦しかった。

 僕は布団の上に置かれた、弓月の手を握りしめ
た。すっかり血の色を失くした指に、唇を寄せる。

 このまま、弓月の病が治らなかったとしても、
僕はこの指に永遠を誓うつもりだった。

 母を愛した恋人のように……

 夫婦になれても、なれなくても、僕は永遠に
弓月の恋人でいるのだと、この指に誓いたい。

 その想いは、ともすれば多くの人の感覚とは、
少しずれているのかも知れないけれど……

 それでも僕は、間違いなく、弓月と出会う前よ
りもずっと、幸せだと言えた。

 けれど出来ることなら、真実は知りたかった。

 あの夜、弓月の部屋で何が起こったのか?

 どうして、二人が死ななければならなかった
のか?

 真実がわからなければ、弓月の背負う悲しみ
を分け合うことができない。

 「何があったんだ、いったい。お願いだから、
ひとりで苦しまないで……弓月」

 僕は弓月の手を握りしめ、息を吐くように言っ
た。その時だった。コンコン、と音がして、部屋
のドアが開いた。はっと顔を上げる。父親が、
少し躊躇いがちにそこに立っていた。

 「声をかけようか迷ったんだけど……たまに
は、一緒に晩御飯でもどうかと思って。僕が作っ
たものだから、口に合うかわからないんだけど」

 弓月の手を握りしめたままの僕を見て、父親
が頭を掻く。僕は顔が熱くなっていくのを感じ
ながら、慌てて弓月の手を離した。

 「あの、すみません。いただきます。お気遣
い、ありがとうございます」

 「いやいや。そんな、畏まるようなものじゃ
ないから。鍋なんですよ。気楽に下りてきてく
ださい。一杯やりながら、突きましょう」

 はは、と白い歯を見せながら、父親が顔の前
で手を振る。僕はまだ、少し緊張した面持ちで
頭を下げると、廊下へと身を翻した父親の後を
追った。

 部屋のドアを閉める瞬間、ちらと弓月を見る。
 いつもと変わらない寝顔が、そこにある。

 僕はそのことに安堵し、父親と階段を下りて
行った。