【完】鵠ノ夜[上]




自分で言ったくせに、泣きたくなった。

無言で乗り込んだ彼の愛車の助手席。この車に、女はお前しか乗せねえ、といつだったか言われた言葉を思い出して、余計に涙を誘う。



離れる時ほど、愛された過去の記憶ばかりが思い浮かんで居た堪れない。

当たり前のように助手席で彼の横顔を眺めて。ずっと見つめてたら、人目のないところで車を停めた彼にキスされたり。



車内で掛かる音楽だって、わたしが乗る時はいつも、わたしの好きなものだった。

普段は考え事に集中したいから、音楽は嫌いで掛けないって言ってたのに。わたしが乗る時はいつも、掛けてくれた。



必要以上に干渉されるのが嫌いで、特に女性に自分のスペースに入られるのなんて大嫌いで。

それでも、わたしがどれだけ近づいたって怒らなかった。むしろ離れたら怒られて、抱き寄せられて。



「自分で言ったんだからそんな顔すんなよ」



家に帰る車の中で、うつむいてジッとしてたら、そう言ってぐしゃぐしゃ頭を撫でられた。

口を開けば泣いてしまいそうで、頷くことしかできなくて。



……今思えば、どうして気持ちは離れたんだろう。

あの時わたしは泣きそうだったのに。泣いてしまいそうなほど、憩のことが好きで、離れたくなかったのに。




「……雨麗」



いつも「お前」って呼ぶくせに。

最後だけ優しい声で名前を呼ぶのはずるい。車を降りて溢れた涙を隠すように背を向けたまま、「なに?」と返事した。



「……次の男には、ちゃんと幸せにしてもらえよ」



できれば、もっと優しいことを言って欲しかった。

幸せになれよ、ってただそれだけでよかったのに。次の男には、なんて余計なことを付け足して。おかげで涙が止まらなくて、返事できないじゃない。



「じゃあな」



数時間前に迎えに来てもらってから、一度も憩に「好き」と言っていなかったことを思い出したのは、部屋に戻って布団の中で一人今までのことを思い出してからだった。

泣かなかったのは、この部屋にいる時は御陵のお嬢なんだと、自分で言い聞かせていたから。



数時間どころか。

最後に言ったのがいつだったか思い出せないほどに、好きだと彼に伝えていなかったのは。わたしだって、同じだったのに。