心が折れたわたしは母親と向き合うことをやめた。
親子をやり直すことをやめた。
家族なんやから理解し合える、分かり合えるのが当たり前だと、しなきゃいけないだと思っていた。
でもこの日、その思いは消えた。
家族でも、嫌いで良い。
好きにならなくて、良い。
分かり合えなくて、良い。

どうして今日まで苦しんできたわたしが、母親を大切にしなければならないの?
寄り添ったり、声に耳を傾けたりしてくれなかった人にやってくれなかったことをしなければならないの?
親孝行なんて言葉、反吐が出る。
大切に育ててもらった記憶なんてない。
きっと嬉しかったことや幸せやったことがあったはずなのに、悲しくて、辛くて、苦しかった思い出の方が多すぎて、深すぎて、記憶や思いに覆いかぶさる。

きっと、お母さんがもっと歳をとって、1人で歩けなくなったとき、わたしはお母さんに虐待してしまうと思う。
頬を叩いてしまう。
物忘れが起きたとき、なんでこんなこともできないのって伝えてしまうと思う。
できないことを馬鹿にして、笑ってしまうと思う。
手が震えて洗い物ができなくなってしまっても、自分のものは自分でしてって言い付けてしまうと思う。
何を言われても無視したり、反抗されたら母親の大切にしている物を窓の外に放り投げてしまうと思う。
炎天下の中、車で眠る母親を置いて、わたしだけ家の中に入って鍵を締めてしまうかもしれない。

わたしがされたことを、母親にしてしまうと思う。
そして、母親に言うだろう。
「あんたの日頃の行いが悪いから」
親不孝者だと言う?
あなたを産んだ、育てた親に向かってと。

ううん。
お母さん。
わたし、お母さんの子だけには生まれてきたくは無かったよ。
きっと、こんな考え方しかできないわたしはいなくなるのが当然で、消えてしまった方がいいに決まってる。

傷つけてしまうような考え方しかできなくて、ごめんなさい。
ごめんなさい。

わたしの腐敗した感情は止めどなく溢れてくる。
底が見えない。
そのことにわたし自身がいちばん後悔している。
なんでこんな人間に生まれてしまったんやろう。
育ってしまったんやろう。
生きていてごめんなさい。
ごめんなさい、お母さん。



わたしはこの日を境に死ぬまで母親と関わりを持つ事はなかった。