上の兄と下の弟だけは男の子だからという理由で門限はありませんでした。朝日はそれが納得できなかったらしく、いつも夜になって母親と喧嘩していた記憶があります。私は疲労と眠気でそれどころではありませんでした。構う余裕もありませんでした。私と妻は朝日が中学校に入った辺りから衝突することが多く、仲が悪くなっていましたし、子どもたちが寝ている間に大声で喧嘩をしてしまって、子どもたちを何度か起こしてしまった記憶があります。子どもたちには申し訳なかったな、と思っています。直接、謝ったことは1度もありません。

朝日は顔や態度には出しませんでしたが、兄や弟、母思いの子でした。祖父に弟が怒られていたときも怒らないであげて。優しくしてあげてと言えなかったから、「おじいちゃん、弟に意地悪だから嫌い」と親のわたしたちに言ったり、思春期の兄に母が口論で勝てない時、母の思いを代弁したり………誰かに家族を侮辱されたりすることをとても拒んでしましたが、1番朝日の反抗期がひどかった高校生のとき、朝日自身は弟が憎く、「殺したい、死んでほしい」と発言していた過去があります。理由は平等に愛されないこと、弟が朝日と同じ行動をしても許されてしまう理由が分からないと1度だけ話してくれたことがあります。現に兄弟喧嘩の域を超えるほど、幼いときの朝日は弟を殴っていましたし、弟は朝日を今でも嫌っています。妻は2人の喧嘩を止めに入ることはありませんでした。どちらにも力で負けると分かっていたからです。私は仕事で疲れていて、止めに入ることが出来ませんでした。