朝日がまだ高校生のとき、門限が21時だったようで、門限を過ぎると冬の寒い夜でも夏でも関係なく、妻から玄関の鍵をかけられていました。信用が無かったのか、大学生のときも妻は朝日にだけ鍵を持たせていませんでしたし、朝日だけ、泊まりは禁止で門限が厳しくあったように思います。
小学校中学年から、中学、高校時代は朝日の反抗期により、私と朝日はひと言も喋ることはありませんでした。
ケーキ屋の仕事は本当に忙しかったのですが、なにゆえ作り手が私ひとりでしたから夕方の18時に店を閉め、掃除をし、翌日の仕込みを行い、20時に就寝し、深夜の1時にまた起きて、エンドレスで仕事をする毎日でした。妻の仕事は私が配達に出る間の店番、レジ打ち、経理と家事、育児、子どもたちの教育も全て任せていました。口出しは一切していません。
朝日だけに門限が厳しいのは朝日が女の子だからという理由だったと思います。
朝日が帰ってきたのが21時1分くらいでも、妻は朝日を家には入れませんでした。たまたま私が0時に起きなければならなかったとき、工場の後ろのドアをノックする音に気づいて開けてあげることがありました。でもそれはみんな、門限を守れない朝日が、注意されても聞かない朝日が、口答えする朝日が悪いと妻は言っていましたし、朝日もそう思っていたと思います。