第1発見者は実の父親だった。
父親が彼女を発見したのは、彼女が命を絶った日の1週間後の午前10時頃。

彼女が命を絶った日の翌朝、家の前に娘の原付バイクが停まっており、「今日は仕事が休みなんだ」と思った父親は、スマホの操作方法を教えてもらおうと彼女の寝室のドアを1度だけノックする。

しかし、返答がなく寝ているのだと諦める。

その2日後の早朝5時頃、仕事から帰ってきた父親は娘の原付バイクを確認しているが疲れていたため、夕方の仕事に向けて一旦仮眠を取る。

夕方6時前後、運送業者に勤めている父親は関西から関東へ輸送する荷物があり、泊まり込みで成田に向かうため、この日から2日間家を空ける。

家を空けて3日後の深夜1時頃、帰宅した父親は翌日休みだったこともあり、お風呂に入らず、2階に上がることもなく、そのまま1階にある自身の寝室で深い眠りにつく。

朝、午前9時50分頃、2階のリビングにある固定電話が鳴り響く音で目が覚めた父親は慌てて階段を駆け上がり、電話に出る。

娘の派遣会社の担当者だと名乗る男から「3日間、娘さんが会社を無断欠勤しており、携帯に連絡がつかない。実家の連絡先にも何度も電話をしたが今日まで連絡がつかなかった」と伝えられる。

この日も娘の原付バイクを確認していた父親は、慌てて娘の寝室を開けるが、そこには変わり果てた娘の姿があった。

夏、セミの鳴き声と共に、雨音が耳鳴りのように絶え間なく父親の頭の中に鳴り響いた。

宙を浮く彼女の足元には、布団、新聞紙、バスタオルの順に床に敷かれており、少し離れたコタツ机の上には《遺書》と書かれた茶封筒が置かれていた。