僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい


 玄関には、白いスリッパが二つ置かれていた。スリッパを履いて、玄関先の廊下に足を進める。廊下の壁にはドアが二つあって、一つはトイレに、もう一つはリビングにつながっていた。リビングの奥には寝室があって、そこにはシングルベッドが二つ横並びで置かれていた。

 廊下の突き当たりには洗面所があって、その隣にシャワールームと、源泉掛け流しの露天風呂があった。
「すごっ!」
 木の板で作られた浴槽の中に、透明な色をした温泉が入っていくのを見て、俺は声を上げた。浴槽の淵の一部分に、まるで短い竹をくっつけたみたいに、小さな筒が斜めに付いている。蛇口から出る温泉が筒の中を通って、浴槽に入っていく。

「蓮夜は露天風呂なんて、見たことないか?」
「はい。修学旅行や移動教室には虐待されて以来行った試しがないので」

「俺も学生の時は修学旅行にも移動教室にも行ってなかったな。ついでに言うと、部活の合宿も行ってない」
 紫月さんの言葉に違和感を覚えた。

「合宿行ってないのに、ベンチ入りできたんですか?」
「ああ。言っただろ、虐待の逃げ道が部活になっていたって。そのこともあって、俺は部活に人一倍のめり込んでいたから、合宿に行かなくてもベンチ入りできた」

 そういうことか。

「すごくサッカーにのめり込んでいたんですね」

「ああ。蓮夜が絵を描いている時と同じくらいの熱量でのめり込んでたよ」

 紫月さんは俺が絵を描いているところなんて見たことないハズなのに、あたかも知っているかのような口ぶりで言った。

「え、紫月さん、どうして」

 どうして『俺が絵にのめり込んでいた』と考えたのだろう。

「ごめん。調べた」
 紫月さんが鞄のチャックを開けて、そこからスマフォを取り出す。紫月さんはそのままスマフォを二十秒ほど操作してから、俺に渡した。
「っ⁉︎」
 スマフォには小学生の頃の俺の写真が映っていた。写真の中の俺は老人に賞状を渡されて、嬉しそうに微笑んでいる。間違いない。これは大会で、俺の絵が最優秀賞をとった時の写真だ。目を見開いて、紫月さんを見る。

 俺の絵は賞をとったから、今もグーフルやヤホーなどで、『山吹蓮夜 最優秀賞』と検索をかければ、さっきの賞状を持った写真と、俺へのインタビューや、絵のことが描かれた記事が出てくる。でもまさか紫月さんがそれを調べているなんて、考えもしなかった。

「本当にごめん、悪かったと思ってる。部屋に行ったときに少しだけ、お前の絵を見ちゃったんだけど、その時に絵のタッチに見覚えがあった気がしたから、気になって」
 賞をとった絵は、一定期間だけ美術館に展示されることがよくある。俺の絵もそうだった。そのことがあったから、多分紫月さんは絵を見たのだろう。

「そ、それならせめて調べるんじゃなくて、俺に聞いて欲しかったです」
「俺もそうしようと思ったんだけど、お前、自分の絵の話されること好きじゃないだろ? だから絶対、はぐらかされると思って」
「それでも聞いて欲しかったです」
 はぐらかさないですとは言えなかった。でも人が調べて欲しくないことを、何も言わずに調べないで欲しかった。

「そうだよな。本当にごめん」
 紫月さんは罰が悪いのか、俺から目を逸らして、下を向いた。