「……ごめん。俺がこんなところにくる資格なんてないよな。それでも俺のところ以外にお前に行く場所なんてないってわかっているのに、見捨てることなんてできない」
『それでも見捨ててください。全部、見て見ぬ振りしてください。今ならまだ、引き返せますから。中途半端に優しくしないでください』と言いたくなった。でも本当にそういう勇気なんて、少しもなかった。
「頼むから、あんなクソ姉のとこに帰らないでくれ。俺はもうお前の涙を見たくないんだよ」
俺が泣く原因を作ったのは紫月さんだ。それなのにいなくならないでくれなんて、わがままが過ぎる。自分勝手過ぎる。でも嬉しい。紫月さんはいつだって弟のことを考えているから、俺のことを考えて追いかけてきてくれたと思うと、とても嬉しかった。素直に『やったあ! 紫月さんが来てくれた!』なんて喜べないけれど、それでも、とても嬉しかった。
「なあ蓮夜、いるんだろ? 頼むから、返事だけでもしてくれないか」
震えた不安げな声で、紫月さんは言う。
「紫月さん、俺は……できることならずっと、紫月さんのそばにいたいです。紫月さんといる時間が一番穏やかだから。でも、俺は紫月さんといると、ずっと心が満たされないです。紫月さんはずっと俺を、弟だと思っているから」
追いかけてきたのが嬉しいから一緒にいる、一緒にいたいからそばにいるじゃダメで。紫月さんと俺は多分、お互いが望む通りにしたら、幸せになれない。
「やっぱり弟じゃ嫌だよな」
小さな声で紫月さんは言う。声が小さいのは、後ろ暗さがあるからだろうか。
「はい。それでいいって言ったのに、今更こんなこと言ってごめんなさい」
「いや。蓮夜は悪くない。蓮夜を傷つける羽目になるってわかっていたのに、一緒にいようとしたのは俺だからな」
紫月さんは俺が傷つくとわかっていたのに、俺といようとした。でもそうしたのは紫月さんだけじゃなくて、俺が紫月さんと一緒にいるのを望んでいたからだ。
「俺も、一緒にいようとしました」
紫月さんといるのが最適だと信じてやまなかった。こんなことになるなんて、考えもしなかった。
「それでも蓮夜は悪くない。お前はただ、虐待がない日々を求めただけなんだから。俺はお前を傷つけるとわかっていたのに、こうなるとわかっていたのに、ずっと一緒にいようとした。ごめんな。これじゃあまるで詐欺だよな。蓮夜が騙されるってわかっていながら、騙したようなものだ。それなのにまだ一緒にいたいなんて、わがままにも程があるよな」
ドアを開けて、目の前にいる紫月さんを見つめる。
「紫月さん、俺も、紫月さんと一緒にいたいです。もうあの家には帰りたくない。でも、多分このまま一緒にいたら、俺も紫月さんも、余計辛くなるだけです」
「……その通りだな」
俺の頬を触って、紫月さんはじっと、俺の目を見つめる。



