「あと二年なんだ」
何の前触れもなく、紫月さんは言った。
「え、何がですか」
「弟の寿命」
寿命?
言葉に違和感を覚えた。
植物状態に寿命ってあるのか?
「……親戚が入院費半分負担してくれてて。その人と話し合って、決めたんだ。八年前に。十年延命治療して、目を覚まさなかったら諦めるって」
「な、何で。紫月さんはそんなの」
紫月さんは弟さんが大好きなハズなのに。それなのに、どうして。
「ああ。俺は望んでないよ。でも、目が覚める保証もないのに、死ぬまで治療費を払い続けることなんてできない。……いや、それはできるな。借金でも何でもすれば。決して不可能なわけじゃない。でも、でももういいんだよ。あいつを生かしているのは、俺のわがままだから」
「わ、わがままなんかじゃ」
「そうなんだよ。だってあいつは、もう八年も眠ってる。医者にも目覚めたら奇跡だって散々言われた。それなのに生かしているのは、ただ俺の死んで欲しくないって想いをあいつに押し付けているだけなんだ」
押し付けなんかじゃないなんて、言えない。
八年も弟さんの延命治療をして出した紫月さんのその答えは、少なくとも俺よりは正しいものだと思うから。
「確かに押し付けかもしれません。それでも、多分、弟さんは微塵も迷惑だなんて思ってないと思います」
「何で」
「兄に生きていて欲しいって、死んで欲しくないって思われていて、迷惑だなんて言う弟いませんよ。俺は弟さんが羨ましいです。俺も、姉ちゃんにそれくらい大事にされたかった」
姉ちゃんは事故に遭ってから一変してしまった。
きっと、腕が麻痺さえしなければ、姉ちゃんは俺に無事でよかったって、助けられてよかったって言ってくれたハズなんだ。
今はあんな悪魔みたいにひどい姉ちゃんだけど、昔は俺がいじめられていた時は笑って助けに来てくれたり、事故に遭いそうになった俺を庇ってくれたりしたから。
「蓮、そんなに良い風に捉えるな。俺はただ逃げてるだけなんだよ。弟が目を覚ます確率は零パーセントと言っても、決して過言じゃない。それなのに俺はいつまでも治療を続けて、奇跡を待ち望んでいる」
「それでも俺は……紫月さんが弟さんを生かしたいなら、生かした方がいいと思います。そうすればいつか、本当に、目を覚ますかもしれませんし。未来なんて、誰にもわかりませんから」
「はあ……なんでそんなに良い子なんだよ。もっと怒れよ。わかってんのか、蓮。俺が現実から目を背けなかったら、弟の容態のことをもっときちんと受け入れていたら、俺がお前を弟の代わりだと思うことなんてなかったんだよ。それなのにお前は俺に怒りもしないで、それどころか……俺の味方ばかりしやがって。なんでそんなにお前は、心が綺麗なんだよ」
頭を抱えて、紫月さんは言う。
「紫月さん?」
紫月さんは肩を震わせて、涙を流していた。
「ごめん、ごめん。……お前のことを弟の代わりとして見るべきじゃないことくらい、本当はわかってる。それでも俺は、お前の顔を見るたびにどうしても、弟の姿が頭をよぎっちゃうんだ」



