「さて、鈴香も帰ったとこだし、昼飯でも食いに行くか!」
俺は紫月さんのその言葉を聞いて、やっとまだお昼時なことに気がついた。
「あ、そっか。……今、お昼ですもんね」
独り言みたいに呟く。
昨日から色々あり過ぎて、時間なんか気にしてる余裕なかった。
「ああ。蓮何食いたい? 奢ってやるよ」
食欲湧いてないな。
「別に何でもいいです。嫌いなもの別にないですし」
「じゃあ食べたくないものは?」
食べたくないものなんてあったかな。
ふと、虐待の一環で、髪の毛に納豆をつけられた時のことが頭によぎった。
百回くらいかき混ぜたんじゃないかってくらいネバネバの納豆と辛子を髪の毛につけられて、髪の毛のあらゆるところからひどい匂いを発している状態で、一時間ほっとかれた。手首を脱衣所のドアノブのところに紐でくくりつけられて、脱衣所の前で、一時間立ち尽くす羽目になった。すぐそばに風呂場があるのに髪を洗わせて貰えなくて、それどころか、髪についていた納豆や辛子を顔にベタベタとつけられた。
その虐待をされて以来、俺は納豆を見た瞬間に吐くようになった。別に納豆が嫌いなわけじゃない。身体に良い食べ物だってこともよく知っている。ただ心が受け付けない。虐待の道具として使われてしまったものを食べる気にはなれない。納豆に罪がないことくらいわかっている。それでも納豆を見た瞬間に、俺はものを吐いてしまうようになった。
「蓮? どうした?」
紫月さんが不意思議そうに首を傾げる。
俺が何も言わないから、変に想ったんだろう。
「なっ、納豆は、食べたくないです」
どもった俺を見て、紫月さんは眉間に皺を寄せる。
「まさか、納豆のパック口に詰め込まれでもしたのか」
「それくらいで済んでいたら、食べられなくなってませんよ」
本当にそれくらいで済んでいたらどんなによかったか。
パックを口に詰め込まれるくらいなら匂いが身体に残ることもないし、その方がよっぽどマシだ。
「は? 一体何されたんだよ!」
俺の肩を揺さぶって、紫月さんは叫ぶ。
「髪の毛に納豆をつけられた状態で、脱衣所のドアノブに手首を……うっ」
思い出そうとしただけで、猛烈な吐き気に襲われた。
「水持ってくるから、大人しくしてろ」
何も言わずに、コクコクと頷く。
駆け足で紫月さんはキッチンに向かう。
紫月さんが慌てた様子で、コップを持って俺の元に戻ってくる。
「はー。すみません。ありがとうございます」
コップに注がれている水を飲んで、ため息を吐く。息を吐いていると、少しだけ身体が楽になった。心は全然楽にならなかったけれど。
「ん。納豆のことは忘れろ。もう考えるな。お前がされたことがどんなことかは、今ので大体わかったから」
「……はい」
「それにしても、納豆か。蓮の髪が傷んでいるのは、それが原因だったんだな。……蓮、美容院行く?」
「え、何でですか」
「俺が虐待されてた時から行ってた美容院があって、そこなら怪我のこと聞かれないで済むだろうから」
「そうなんですか」
髪の毛全然手入れできてないし、行ってみたいな。
「どうする? 行く?」
「はい、行きたいです!」
俺は笑って頷いた。



