僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい


「蓮、大丈夫」
 紫月さんが俺の背中を撫でる。

 あったかい。背中から伝わってくる紫月さんの体温が、俺が独りじゃないことを証明している。俺はいつも姉ちゃんの言いなりだった。姉ちゃんは絶対で、姉ちゃんに従わなかったらひどいことが起きると思っていた。それでも心の片隅で反抗したい気持ちがあって、姉ちゃんの指を噛んだのは、ずっと隠していたその気持ちが爆発したからだった。
 まあその気持ちは、無理矢理押し殺されたんだけど。
 俺は独りじゃ全くと言っていいほど姉ちゃんに反抗できない。反抗しようとしても、すぐに姉ちゃんに打ちのめされてしまう。でも今は、そんな俺を紫月さんが支えてくれている。
 紫月さんが俺を守ろうとしてくれている。たとえそれが俺を弟さんの代わりだと思っているからだとしても、少なくとも独りの時よりはよっぽど心強い。

「俺は、姉ちゃんの玩具じゃない!」
 俺は在らん限りの声で叫んだ。
 紫月さんが小声で俺によく言ったと言ってから、また走り出す。俺は笑って後を追った。

「蓮夜? なんでそんなとこにいるの? 怪我だってたくさんして、一体どうしたの?」
 ダイニングにいた母さんが、俺が外にいるのに気づいて、窓を開けて声をかけてくる。
 たぶん、さっきの声で気づいたんだと思う。
「……ごめん、母さん。……俺、もうここにはいられない。理由はそのうちちゃんと話すから」
 そう言うと、俺は止めていた足をまた動かした。
 大きな靴では、道路はあまりに走りづらかった。それでも、走るのをやめはしなかった。やめたら、姉ちゃんに追いつかれてしまうと思ったから。

 少しの不安と、大きな安心が俺の心を埋め尽くす。安心するのは隣に紫月さんがいるからだ。俺は救われたんだ、紫月さんに。

 神様がいるなら救ってほしいって願ったことを思い出す。俺の神様は、紫月さんだったんだ。

 俺の家から走って二分くらいのとこにあったコインパーキングの前で、紫月さんは足を止めた。
 コインパーキングの入り口には黄色い精算機が置かれていた。 
 精算機の側に行くと、紫月さんは駐車番号を入力して、ポケットから取り出した財布で料金を払った。
「蓮、ごめん。これじゃ犯罪だな」 
 紫月さんは財布をポケットにしまうと、額に手をやって言った。
 その姿はまるで自分のしたことを後悔しているようで、見ていて痛々しいったらありゃしなかった。

 紫月さんの瞳から涙が零れ落ちる。
 紫月さんは葛藤しているんだ。
 たとえ虐待から助けたんだとしても、未成年を親の許可なく連れ出すのは紛れもなく誘拐で、犯罪だから。紫月さんがしたことは子供を虐待から助けたという意味では正しい行いだけれど、傍から見ればただの誘拐に過ぎないから。

「そんな。謝るのは俺の方です。すみません、俺が姉ちゃんの言う通りにできなかったばっかりにこんなことになっちゃって」
 きっとあそこで俺が姉ちゃんの言う通りにしていたら、紫月さんは俺を無理矢理連れ出さなかったハズなんだ。
「アホ。お前のせいじゃないだろ。それに、お前を救おうって決めたのは俺だから」
 紫月さんが額から手を下ろして言う。
「でも俺が姉ちゃんに従っていたら紫月さんはこんなことしなかったですよね?」