「そうですか。じゃあそれが本当のものなのか確かめさせてもらいましょうか」
何をする気だ?
「疫病神、ご飯は食べた?」
「まだ食べてない」
「そ」
姉ちゃんが部屋のドアを開けた。
「え?」
ドアの前の床には、おかゆが入った容器が置かれていた。
姉ちゃんが持ってきたのか?
姉ちゃんはその容器を蹴って中身を部屋にぶちまけてから、ドアを閉めた。
次に言われることが何かわかった。
「食べなさい、疫病神。床に這いつくばって」
やっぱりそうきたか。
――姉ちゃんは俺が予想した通りの言葉を言った。
恐怖で身体が震えて、脇から大量の冷や汗が噴き出した。
予想したことではあったが、かなり応えた。心臓が痛い。まるで握り潰されたみたいだ。
「お前が床に這いつくばれ」
紫月さんが姉ちゃんの胸倉を掴んだ。
「し、紫月さん何やっているんですか!」
「蓮、大丈夫だから。落ち着け」
一体何が大丈夫なのか。
「何が大丈夫なんですか、お兄さん。こんなことして本当にいいと思ってます?」
「ああ」
「アハハ。自分の立場分かってます? お兄さんは今不法侵入者なんですよ? 私が悲鳴を上げたら、ダイニングにいる母親がここに来て、お兄さんを警察に通報するかもしれないんですよ?」
「それで蓮を救えるなら万々歳だ」
何を言っているんだ。
警察に捕まったら終わりだろ。
「ねっ、姉ちゃん、やめて。食べるから」
「そ。なら十秒以内に床に這いつくばりなさい。でないと叫ぶわよ」
そう言うと、姉ちゃんはカウントダウンを始めた。
這いつくばろうとしたら、身体が拒否反応を起こして痙攣したみたいに動かなくなった。
全身の細胞が嫌だと、やりたくないと叫んでいた。
「五、四、三、二」
「蓮、走れ!」
カウントダウンが終わる直前で紫月さんが姉ちゃんの胸倉から手を離して、俺の手を掴んだ。
紫月さんがもう片方の手で窓を開けて、窓のへりに飛び乗る。
嗚呼。
この人は本当に正気ではない。
俺を弟だと思っているところも、散々突き放そうとしたくせにこんなことをするところも、本当に変だ。それでも俺には紫月さんがヒーローに見えた。
俺は手を握り返してから、紫月さんの真似をして窓のへりに飛び乗った。
次の瞬間、紫月さんは俺の部屋を飛び出して走り出した。俺は慌てて後を追った。
「蓮、これ履いて」
紫月さんが姉ちゃんの部屋の割れた窓のそばにあった靴をとって俺に差し出す。
「え、でもこれ紫月さんのじゃ」
「いいからとりあえず履いて。俺の靴は車の中に仕事用のがもう一足あるから」
「わかりました」
俺は急いで靴を履いた。靴はぶかぶかで今にも脱げそうな感じがした。
靴のサイズを見てみると、二十七センチだった。俺と二センチも違うのか。
それでも今は靴紐を結び直す時間すら惜しい。
「疫病神!こんなことしていいと思ってんの! あんたはあたしの玩具なのよ!」
姉ちゃんが俺の部屋の窓から身を乗り出して叫んだ。
心臓がヒビを立てた気がした。玩具なんて毎日のように言われているのに。
どんなに言われてもなれないその言葉は、簡単に俺の神経をかき乱す。身体が震えて、冷や汗が頬を伝った。



