僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい


 翌日の放課後、俺は早速、職員室に行って、入部届を美術部の顧問の矢野先生に渡した。紫月さんは今朝やっと熱が平熱まで下がった。俺は、昨日はずっと紫月さんのそばにいたけど、運よく風邪はうつらなかった。

「山吹、やっと入る気になったか」
 手元にある入部届を見ながら、矢野先生は言う。矢野先生は絵の具がところどころについたサロペットを着ていて、丸いメガネをかけていた。
「はい。すみません。ずっと入ろうとしてなくて」
「いや、先生も悪かった。この前はお前の気持ちも聞かないで、絵でも描いてくかなんて言って。もう絵は嫌いじゃなくなったのか?」

 二週間くらい前にもう絵を描くのは好きじゃないって伝えていたな。

「本当は嫌いだったことなんてないです、一度も」
「ならどうして」
「俺が絵を描いていると、怒る人がいて。俺、その人のことがずっと怖くて」
 姉ちゃんのことを全て話す気には、やっぱりなれなかった。
「そうだったのか。その人とはもう和解したのか?」
「和解はしてないです。でも、今はもうその人は俺のそばにいないので」

「そうか。ならよかった。山吹、選択授業で美術は選択していなかったよな」
「はい」
「なら、ちょうどこれから部活も始まるし、美術室に行こう。画材の場所を説明する」
 そう言うと、椅子に座っていた矢野先生は、すぐに立ち上がった。
「ありがとうございます」


 二人で美術室に行って、部長や副部長と挨拶をしてから、俺は画材の場所を一通り聞いた。矢野先生は小テストの採点をしないといけないと言って、説明が終わるとすぐに職員室に戻っていった。採点があるなら、説明はまた今度でもよかったのに。優しい先生だ。まあ顧問だから、新入部員によくするのも仕事のうちなのかもしれないけれど。


 俺は窓際の後ろの方にある椅子に座って、目の前にある机に鞄を置いた。

「あ」

 窓からはグラウンドが見えて、そこでは十人くらいの男子がサッカーをやっていた。サッカー部員か。


 サッカーボールが、俺がいた席のそばの窓に向かってきた。 グラウンドには白い粉でコートが描いてあって、サッカーボールはそれを大幅にはずれて向かってきていた。このままだと絶対に窓が割れる! ん? 茶色い髪の男の子が、窓に向かって、走って近づいてきた。その子は窓に激突する寸前のところで、サッカーボールを掴んだ。その子はグラウンドに向かってそれを蹴ってから、後ろに振り向いた。綺麗な放物線を描いて、それはゴールに入った。その子とゴールまでの距離は、ざっと四十メートルはあった。凄い。俺にはあんなこと絶対できない。俺と目が合うと、その子は笑って、窓を叩いた。鍵を開けろと言っているのだろうか。俺は急ぎ足で窓のそばに行って、鍵を開けた。