乙女ゲームに転生した華族令嬢は没落を回避し、サポートキャラを攻略したい!

 女学校の帰り道に賀茂川に降り立つと、いつもの定位置に詠介が座っていた。けれど、いつもの帳面はなく、絃乃の姿を認めると立ち上がって迎える。

「ここにいれば、会えるような気がしていました」
「……何かありましたか?」

 ただならぬ気配に身構えていると、重い沈黙が返ってくる。

(どうしたのかしら? 飄々と笑顔を浮かべる詠介さんらしくない……)

 言いよどむ様子を見て、彼が気持ちを落ち着けるまで待つことにする。言いだしにくいことを告白するときは、直前で決心が鈍ることも(まま)あるものだ。
 鰯雲が空を泳いでいるのを眺めながら、稜線からこっそり姿を出した月を見つける。空が明るいから存在感は薄く、白というより青空の透き通った色だ。
 今夜は居待ち月(いまちづき)だ。十五夜の満月から三日過ぎ、右側が少し欠けている。これから下弦の月、有明月と変わっていき、晦日(つごもり)の新月になる。
 月の満ち欠けを思い出していると声が届き、覚悟を決めたような顔と目が合う。

「……少し、歩きませんか」
「わかりました」

 なんとなく人気を避けていくうちに、(ただす)の森に来ていた。聖域とでもいうのか、一歩足を踏み入れただけなのに外の雑音が遠くなったように感じる。
 澄んだ空気は神聖な気配を感じさせ、自然と背筋が伸びた。表参道には人気がなく、両側を流れる小川のせせらぎに耳を澄ます。
 ふと、前を歩いていた詠介が足を止めた。絃乃も同じように立ち止まると、ゆっくりと振り返った詠介が重い口を開いた。

「……僕はあなたに隠し事をしています」

 沈痛な表情とともに告白されたせいで、とっさに取り繕うことができなかった。

「隠し事は……誰にもひとつやふたつ、あるものでしょう。そのことで、詠介さんが思い詰める必要はないと思いますが」
「いえ。それはそうなんですが。そうではなくて……」

 詠介は口を濁し、斜めに顔をそらした。話すべきかどうか、踏ん切りがつかないように。
 けれど、絃乃と目が合うと、意を決したように頭を下げた。

「すみません。僕は知っていたんです。……あなたがあの夜、さらわれることを」

 驚きはしなかった。彼はゲーム案内役だ。知識として、未来の出来事を知っていても不思議ではない。
 知っていて止められなかった。そう言いたいのだろう。
 しかし、詠介が気に病む必要は何もない。だって、彼はそういう役割なのだから。
 絃乃はどう言葉を返そうか逡巡し、ゲームと違った行動を取った意味を考える。おそらく、本来助けに来てくれる役は彼ではなかったはずだ。

「だから……助けに来てくれたんですか?」
「……はい。とはいえ、一緒に閉じ込められてしまいましたけど」
「でも、どうして助けに来てくれたんですか?」

 これまで、彼が手助けするのはヒロインが攻略に困ったときのみ。つまり、サブキャラクターである絃乃を助ける義理も義務もないはずだ。
 詠介は瞼を伏せ、懺悔をするように口を滑らかにする。

「すべては僕のわがままです。あなたを失いたくなかった。あの日邪魔をすれば、あなたの身は守られる。本当は僕が介入するなんてこと、してはいけなかったのに……」