「……何よ」
言葉を促すと、葵は冷めたような目を向けた。
何もかもわかったような顔で、居心地が悪くなるのは気のせいじゃない。
「ふうん。姉さんは詠介兄さんに惚れているんだ」
「ほ……惚れているのは事実だけど! 繊細な乙女心を勝手に暴かないでくれる!?」
「乙女心って言っても、姉さんは三十路……」
「うりゃあ!」
手刀を加えて、その場にうずくまる弟を見下ろし、絃乃は両腰に手を当てる。
「この世には、言っていいことと悪いことがあるの! 乙女に年齢は関係ないでしょう。第一、今の私はぴっちぴちの十六歳! 花も恥じらう乙女なの!」
「……どこに花が恥じらう要素があるんだよ……暴力反対……」
小さくなった葵はぶつくさと文句を言っている。
絃乃は胸を張り、姉としてぴしりと人差し指を突きつける。
「悪い口におしおきしたまでよ」
「事実だろ。そんな風だから、婚期を逃がすんだよ……」
「だから! 今は結婚適齢期なの。決して逃がしてないんだから!」
前世とは違って、十代の今はお肌も潤っている。気力も充分だ。
お肌も心も、荒れ果てた過去の姿とは違う。中身はともかくも、見た目はまるきり別の人間なのだから。
だが、葵はそんな姉の心情に気にかける様子はなく、ゆっくりと起き上がる。
「って言ってもさ。呉服屋の次男坊との結婚なんて、堅物の父上が許すわけないだろ?」
「ぐっ……」
「俺はともかく、姉さんは庶民じゃないんだ。華族の婚姻に姉さんの意思は関係ないだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……。いやでも、これからは自由恋愛の風潮だろうし、まったく可能性がないとも言い切れない……でしょう」
さっきまでの勢いは消え失せ、だんだん声が小さくなっていく。
葵は呆れた様子で、頭の後ろで腕を組む。
「父上と母上がそれを許すと? 本気で思ってる?」
「……思っていないです……」
「そもそも、詠介兄さんが姉さんを好きだとしても、結婚までは考えていないんじゃないかな。普通に考えてあり得ないし」
それは予想していたどの言葉よりも、心を深くえぐった。
「あ、あ、あり得ないって言った! ひどい!」
「詠介兄さんは身の程を弁えているってことだよ。賢い人だから、そんな無茶なことに挑むような人じゃない。そんなの、姉さんだってわかるだろ?」
淡々と事実を突きつけられ、反論できない。
飄々としてつかみどころのない彼だが、無謀な賭けに乗るような性格だとは思えない。つまり、葵の言っていることは正しい。
絃乃はネジが切れたようなからくり人形のように、かくんと首を下げた。
「うう。やっぱりそうだよね。結婚なんて夢物語よね。所詮、華族に生まれた私はその時点で自由とは無縁の生き物だもの……」
「……そこまで落胆しなくても」
「だって、事実でしょう? たとえ両思いでも、人生を添い遂げることは不可能。だったら、この思いはいつか手放さなければいけない」
自分で言っていて、悲しくなってくる。
(生まれ変わっても、うまく事は運ばないよね……うん。わかってた)
女学生の恋は、うたかたの恋だ。いつかは消えてなくなる。きらきらした思い出として心の中に鍵をかけてしまっておくべきもの。
打ちひしがれる絃乃に、葵は首の後ろに手をやる。
「まあ、可能性はゼロではないと思うけど……でもなぁ」
「お願いだから、これ以上、傷口に塩を塗り込まないで。みじめな気持ちになるじゃない」
「……もろ手を挙げて応援はできないけど、いいんじゃない? 好きな気持ちはそうそう割り切れるものでもないだろ」
意外な言葉が聞こえてきて、にじみ出た涙を指先で拭う。
「何よ、わかったような言い方ね」
「これでも多少なりとも経験はあるから。姉さんよりは」
「い、言ったわね? 姉をもっと敬いなさいよ」
「……大事にはしているよ。だから、こうして実家に戻らずに身をひそめているんだろ」
そうだ。彼はまだ家には帰れない。
その事実を思い出し、絃乃の表情が曇る。
「……いつ帰ってくるの?」
「さあ。身の安全が保証されるまで?」
「なんで疑問系なのよ。さっさと解決して早く帰ってきなさいよ。あなたの家はうちなのよ」
「とりあえず、まだ無理」
ぶっきらぼうに言う言葉に、何よそれ、と言い返しておく。
「って、早く帰らないとマズいんだった。姉さんも早く帰れよ」
「待ってよ。途中まで一緒に帰るわ」
並んで参道を戻っていく。参拝者とすれ違うこともなく、元の道まで戻る。
その境内裏で枯れ葉を踏む音がしたことは、誰も気づかなかった。
言葉を促すと、葵は冷めたような目を向けた。
何もかもわかったような顔で、居心地が悪くなるのは気のせいじゃない。
「ふうん。姉さんは詠介兄さんに惚れているんだ」
「ほ……惚れているのは事実だけど! 繊細な乙女心を勝手に暴かないでくれる!?」
「乙女心って言っても、姉さんは三十路……」
「うりゃあ!」
手刀を加えて、その場にうずくまる弟を見下ろし、絃乃は両腰に手を当てる。
「この世には、言っていいことと悪いことがあるの! 乙女に年齢は関係ないでしょう。第一、今の私はぴっちぴちの十六歳! 花も恥じらう乙女なの!」
「……どこに花が恥じらう要素があるんだよ……暴力反対……」
小さくなった葵はぶつくさと文句を言っている。
絃乃は胸を張り、姉としてぴしりと人差し指を突きつける。
「悪い口におしおきしたまでよ」
「事実だろ。そんな風だから、婚期を逃がすんだよ……」
「だから! 今は結婚適齢期なの。決して逃がしてないんだから!」
前世とは違って、十代の今はお肌も潤っている。気力も充分だ。
お肌も心も、荒れ果てた過去の姿とは違う。中身はともかくも、見た目はまるきり別の人間なのだから。
だが、葵はそんな姉の心情に気にかける様子はなく、ゆっくりと起き上がる。
「って言ってもさ。呉服屋の次男坊との結婚なんて、堅物の父上が許すわけないだろ?」
「ぐっ……」
「俺はともかく、姉さんは庶民じゃないんだ。華族の婚姻に姉さんの意思は関係ないだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……。いやでも、これからは自由恋愛の風潮だろうし、まったく可能性がないとも言い切れない……でしょう」
さっきまでの勢いは消え失せ、だんだん声が小さくなっていく。
葵は呆れた様子で、頭の後ろで腕を組む。
「父上と母上がそれを許すと? 本気で思ってる?」
「……思っていないです……」
「そもそも、詠介兄さんが姉さんを好きだとしても、結婚までは考えていないんじゃないかな。普通に考えてあり得ないし」
それは予想していたどの言葉よりも、心を深くえぐった。
「あ、あ、あり得ないって言った! ひどい!」
「詠介兄さんは身の程を弁えているってことだよ。賢い人だから、そんな無茶なことに挑むような人じゃない。そんなの、姉さんだってわかるだろ?」
淡々と事実を突きつけられ、反論できない。
飄々としてつかみどころのない彼だが、無謀な賭けに乗るような性格だとは思えない。つまり、葵の言っていることは正しい。
絃乃はネジが切れたようなからくり人形のように、かくんと首を下げた。
「うう。やっぱりそうだよね。結婚なんて夢物語よね。所詮、華族に生まれた私はその時点で自由とは無縁の生き物だもの……」
「……そこまで落胆しなくても」
「だって、事実でしょう? たとえ両思いでも、人生を添い遂げることは不可能。だったら、この思いはいつか手放さなければいけない」
自分で言っていて、悲しくなってくる。
(生まれ変わっても、うまく事は運ばないよね……うん。わかってた)
女学生の恋は、うたかたの恋だ。いつかは消えてなくなる。きらきらした思い出として心の中に鍵をかけてしまっておくべきもの。
打ちひしがれる絃乃に、葵は首の後ろに手をやる。
「まあ、可能性はゼロではないと思うけど……でもなぁ」
「お願いだから、これ以上、傷口に塩を塗り込まないで。みじめな気持ちになるじゃない」
「……もろ手を挙げて応援はできないけど、いいんじゃない? 好きな気持ちはそうそう割り切れるものでもないだろ」
意外な言葉が聞こえてきて、にじみ出た涙を指先で拭う。
「何よ、わかったような言い方ね」
「これでも多少なりとも経験はあるから。姉さんよりは」
「い、言ったわね? 姉をもっと敬いなさいよ」
「……大事にはしているよ。だから、こうして実家に戻らずに身をひそめているんだろ」
そうだ。彼はまだ家には帰れない。
その事実を思い出し、絃乃の表情が曇る。
「……いつ帰ってくるの?」
「さあ。身の安全が保証されるまで?」
「なんで疑問系なのよ。さっさと解決して早く帰ってきなさいよ。あなたの家はうちなのよ」
「とりあえず、まだ無理」
ぶっきらぼうに言う言葉に、何よそれ、と言い返しておく。
「って、早く帰らないとマズいんだった。姉さんも早く帰れよ」
「待ってよ。途中まで一緒に帰るわ」
並んで参道を戻っていく。参拝者とすれ違うこともなく、元の道まで戻る。
その境内裏で枯れ葉を踏む音がしたことは、誰も気づかなかった。



