乙女ゲームに転生した華族令嬢は没落を回避し、サポートキャラを攻略したい!

 突然後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返る。
 そこには二十五歳前後の男が串団子を片手に、うさんくさい笑みを浮かべていた。中折帽(なかおれぼう)にくたびれたスーツを着込んだ姿は、どこかの会社の雇われ人という印象が強い。
 彼とは初対面のはずだが、ふと既視感が襲う。どこでだろう、と記憶の糸をたぐっていくと、色っぽい男性声優のセリフとともに脳裏に一枚のスチルが思い浮かぶ。
 見覚えがあるのもそのはず、彼は乙女ゲームの攻略対象者の一人だ。

(まさか、こんなところで会うことになるなんて……)

 絃乃が声を失っていると、百合子がおもむろに口を開いた。

「……(かがり)さん、ですよね」
「おや。桐生院家のお嬢様に憶えていただけていたとは光栄ですね。あ、俺はこういうもんです」

 流れるような動作でポケットから名刺を取り出し、絃乃と雛菊に手渡す。
 篝伊三郎(いさぶろう)。シンプルに文字だけで、表には名前、裏には電話番号が書かれている。
 格好はいまいちだが、彫りの深い目鼻立ちをしている。
 少し伸びた前髪から覗く目つきは少し悪いものの、二枚目といえなくもない。新品の服に着替えるだけで印象はだいぶ違うように思う。
 
(駆け出し新聞記者のかたわら、裏で探偵稼業もしているんだったわね。彼のルートでは誘拐未遂事件で見事ヒロインを守りきり、それが功を奏して婚約が認められるというストーリーだったけど……)

 百合子と篝を見比べるが、甘い感情は一切感じられず、ただの知り合い止まりといったところだろうか。

「……せっかくのお申し出ですが、今のところは不要ですわ」
「そうですか。もし気が変わったら、いつでも相談に乗りますよ」

 篝は残っていた団子を平らげると、お勘定を手早く済ませて、そのまま立ち去る。
 雛菊は彼の去った方角から百合子に視線を移し、疑問を口にする。

「さっきの方はどういうお知り合いの方なの?」
「新聞記者の方なの。父の仕事上の知り合いで、たまたま話す機会があって。それだけよ」
「でも、百合子に気があるみたいな言い方だったわ」

 のんびりとした口調は変わらないのに、雛菊の観察眼はなかなか鋭い。

「それは気のせいよ。父の印象をよくしたいだけじゃないかしら」
「そうかしら。ねえ……絃乃はどう思う?」
「えっ、私?」

 いきなり話を振られて困っていると、雛菊は頬に手を当て、思案に暮れたような顔をしていた。今にもため息が聞こえてきそうな素振りだ。
 白玉団子を頬張る百合子をちらりと見ながら、絃乃は苦し紛れに答える。

「百合子が気のせいっていうなら、そうなんじゃないかしら、と思うけれど」
「そうかなぁ。絶対気があると思ったんだけど」

 確信したような瞳だったが、百合子が我関せずの態度を貫いているので、それ以上口を突っ込む勇気もなかった。