ボクは離れた町からやってきた。
その町にいた時のことは覚えているけど、それより前の記憶は何故だかない。

当時、ボクは痩せてボロボロで、とっても汚くて、目ヤニでくっついた片方の目は、ほぼ閉じていた。
小さかったボクは、ただ生きること、その繰り返しだった。

棒を振りかざす人間や、大きな犬に追いかけられ、どんなに探したって、ボクの居場所は見つからなった。
逃れるように歩いて、ひたすら歩いて。
道の片隅で倒れたときは、何もかも諦めていた。

気がつくと、ボクはあったかい布の中にいた。
血が出るほど掻きむしり、べったりとした体はきれいに洗われ、目を塞いでいたヤニも消えていた。

何が起こったのか分からなくて、ボクは半狂乱になっていたと思う。
ふいに揺れた人影に、ボクは物陰に飛び込んで毛を逆立てた。
腰を曲げて現れたおばあちゃんは、ひっかいても噛みついても、怒ったりなんかしなかった。
いつまでも何も食べようとしないボクを見て、困ったような、悲しそうな表情はしたけれど。
あの町の人間のように、ボクに酷いことなんてしなかった。
初めてボクがおばあちゃんのそばに並んだ日、ボクはおばあちゃんから宝物をもらった。

それから幾月、金木犀の甘い香りが漂い始めた頃には。
ガサガサだった毛は柔らかく生え変わり、ボクはクロという名にふさわしい、おばあちゃんちの猫になっていた。