「何なに!? アハト怪我しなかった!?」
「大丈夫だから喋んな!」

 ぴしゃりと叱られて口を閉ざしたリアは、右折すると同時に石畳を打った(やじり)に悲鳴をかみ殺す。さっきの矢とは違う方向から飛んで来たところを見るに、既に何人かに囲まれていると考えた方が良いだろう。
 精霊術を使えば、少しは射手の目くらましが出来るのだが──師匠や大巫女からの叱責を覚悟で、リアは外套の内側からナイフを引き抜いた。もしもアハトが矢を受けて、怪我でもしたら大変だ。たとえ謹慎生活に逆戻りになっても、ここを無事に切り抜けられるのならと。

「えっ」

 だが彼女が走りながらナイフを持ち上げると、まだ召喚の呼びかけすら口にしていないと言うのに、何処からか光が近付いてきた。
 言わずもがな、精霊だ。
 リアが髪を切る瞬間を今か今かと待ち侘びる姿に、つい唾を飲み込む。

「おい、術は使うなって!」
「ま、まだ使ってないわよ! 勝手に寄って……」

 脇道の前を通り過ぎようとしたとき、二人はそこに立つ大柄な男を二度見してしまった。
 顔面に傷跡をこしらえた男は、唖然としている二人──否、アハトを狙って斧を振りかぶる。「危ない」と声を発するより先に、リアは幼馴染の背を突き飛ばしていた。
 容赦なく斧が打ち下ろされ、がつんと石畳を抉る。危機一髪、頭をかち割られるところだったアハトは体勢を立て直そうとして、青褪めた。

「リア!!」

 彼が声を荒げたときには既に、リアは右腕を掴まれていた。抵抗する隙も与えず、後ろにいる男は掴んだ腕を背中で捻り上げてしまう。あまりの痛みに崩れ落ちれば、彼女の呻き声を聞き捉えたアハトが怒りの形相で地を蹴った。

「お前、何して──……!」
「アハト!?」

 しかし、間に立ち塞がった大柄な男が斧を振り抜き、彼を敢えなく弾き飛ばしてしまった。鈍い音と共に彼が積雪へ突っ込めば、用は済んだとばかりに二人の暴客が踵を返す。
 勿論そのうちの一人に拘束されているリアも否応なしに引き摺られることになり、慌ててその場に踏ん張ってみるも効果はなく。段々と遠ざかっていく幼馴染の姿に、混乱と焦りが頂点に達したリアは──しくしく泣くような質ではなかったので、腹の底から大声を上げた。

「はっ、放せぇー!! 誰よあなたたち!? アハト生きてる!? 返事して!」
「おい、猿轡(さるぐつわ)を。やかましすぎる」

 予想以上にリアが騒いだせいか、心なしか早口で痩身の男が言う。その後すぐに手拭いを噛まされてしまい、思うように声が出なくなった。
 ──何がどうなってるの? どこに連れて行く気?
 はやる気持ちのまま、せめてこの場から動いてなるものかと、リアが前かがみになった直後のこと。

「──ぐぉっ」

 何かが叩き折られる音。ついで聞こえた、低く苦しげな声。
 眇めた瞳で周囲を窺ってみれば、大柄な男が真っ二つに折られた斧を手放し、よろめく姿がそこにあった。しかし男が膝をつくことは許されず、脇腹に重い蹴りが放たれる。狭い路地の壁に衝突した男は、そこでようやくずるずると蹲った。
 開けた視界に舞う藍白の髪と、曇天の下であっても美しさを損なわない菫色を認めたリアは、零れ落ちそうなほど目を見開いたのだった。

「え……エドウィンわああ!?」

 鞘に納めたままの剣が、リアの頭上で勢いよく振られる。背後にいた男は横っ面を殴られ、一回転しながら積雪に倒れてしまった。
 その拍子にパッと解放されたリアがたたらを踏めば、すかさず正面から抱き止められる。

「リア……! 大丈夫ですか!?」

 視界に大きく映し出された麗しい心配顔に、リアは無数の疑問符を浮かべながらも小刻みに頷く。
 何故彼がここにいるのだろう、幻覚だろうかと疑ってみたが、体を抱き寄せる力強い腕も、額に当たる吐息も本物のようだ。それとエドウィンの向こう、鬼気迫る表情で駆け寄るイネスと──金髪のへらり顔も。