「……で、結局ゼルフォード卿にはっきり想いを伝えられないまま朝を迎えたと」
「そうです」

 沈みきった表情で短く肯定したリアに、しかしてユスティーナは豪快に笑う。大巫女には何の罪もないが、リアはついつい恨みがましい目を向けてしまった。
 昨夜は本当に大変だった。
 ヨアキムは教会の新しい教皇であるサイモンと話した後、リアよりも一足先に自室へと戻っていたのだ。
 つまり最初から──隣の寝所にいたのだ。
 そこで仮眠を取っていたがゆえに、リアとエドウィンの会話は殆ど聞こえなかったことが不幸中の幸いだろうか。
 しかしいずれにせよ、長く一緒に暮らしてきた保護者に告白の場面を目撃されて、消えたくならない子どもはいない。

「うう、恥ずかしい、お師匠様は急にお父さんっぽいこと言い出すし、エドウィンも変なことばっか言うし」
「お父さんっぽい……」

 声が震えている。大巫女はエルヴァスティ王宮から送られてきた手紙を読みながら、にやつく口元を必死に押さえていた。

「大巫女様、笑いすぎです!」
「すまん、許せ。ここ数ヶ月で奴の親バカ具合が格段に重症化しておるものだから」
「親バカって、お師匠様が?」
「ああ。お前からしたら目つきの悪い同居人ぐらいにしか見えんだろうがな」

 隣に並べた小さな机の上、リアは大巫女から次々と渡される手紙を綺麗に重ねて、一定の量が溜まったところで紐で縛っていく。
 ユスティーナは帝国に滞在している間も、エルヴァスティ王国の公務に関する相談や報告を寄越すよう、文官たちに言い付けているらしい。
 聞けば王室は今、大陸東端の島国ローデヴェイクとの貿易関連で少しばかり騒がしいとか。多忙な国王の負担を減らすべく、ユスティーナが寺院を離れてもなお引き続き公務の一部を受け持つことになったそうだ。

「もう大巫女様っ、すごい量ですよ。ちょっとは王様に仕事させたら良いのに」
「ふむ、陛下は公的な場でにこにこと座り続けることに関しては天職だぞ」
「あ、それ絶対褒めてない」
「いや、私は気に食わんことがあれば即座に発言してしまうからな」

 確かに──と深く頷いてしまったリアの額に、丸めた書簡が軽くぶつけられた。
 その後も砕けた会話を交わしながら、書類の整理を一通り終えたリアは大きく伸びをする。もしやユスティーナは仕事の手伝い要員としてリアを呼び寄せたのだろうかと、途中で首を傾げたりもしたが良しとしよう。
 こうして黙々と作業をすることで、昨日から忙しなかった思考が落ち着きを取り戻したのは確かだった。

「時にリア」
「はい?」
「昨晩が悲惨な結果に終わったことは十分に分かったが……ゼルフォード卿とは話せたのか?」
「えっと……」

 リアは無言で首を振った。もちろん縦ではなく横に。
 困ったことに昨晩の騒動以降、エドウィンに想いを伝えようという気持ちがすっかり萎んでしまった。それは好意が失せただとか、そういうことではなくて──機会を逃したがゆえの、単純かつ重大な気まずさが原因である。
 そもそも何をどう切り出せばよいのかさっぱり分からないのだ。自ら昨晩のことを掘り返すと顔から火が出そうになるのは当然として、またあの内臓が口から飛び出そうな緊張と羞恥を味わうのかと思うと気が遠くなる。

「で、でも出来るだけ早めに言う……つもりです」

 むやみやたらと書類の角を小刻みに整えたリアは、もごもごと歯切れ悪く告げた。精霊の愛し子だから、なんて言い訳はもうしないと決めたのだ。
 後悔先に立たず、ユスティーナから言われたことも胸に刻みつつ窺ってみれば、思いのほか優しげな眼差しに迎えられた。

「やりたいようにやりなさいな。オーレリア・ヴィレンの人生は誰に縛られることもない」
「精霊にも?」
「当然」

 大巫女の揺るぎない返答に、リアは表情をほころばせる。しかし一方で、穏やかな笑みを浮かべていたユスティーナは少しの陰りをそこに宿した。

「大巫女様? ……どうかしましたか?」
「ん? いや……何もない。リア、手伝いはこれぐらいで良い。先に昼飯でも食べておいで」

 彼女の様子を気にかけつつも、リアはお言葉に甘えて席を外すことにした。
 そうして護衛騎士の二人と一緒に、騎士団や使用人が利用するという大食堂へ向かう。
 昨日は頭が混乱していたおかげで、何を食べたのかも覚えていない。家から持参した丸パンを一人でもさもさと咀嚼した記憶が、あるような無いような。

「──わぁ美味しそう! 寺院の食堂よりメニューが豪華ねっ」

 贅を好まないメリカント寺院のしきたりを思えば当たり前かと、リアは具材たっぷりのサンドイッチやフルーツの盛り合わせを見て頷く。
 遠慮する護衛二人にも盆を持たせ、そこに肉料理を中心に載せたリアが、ようやく見つけた空きテーブルに腰を下ろしたときだった。

「隣、よろしいですか」
「へ?」

 低く落ち着いた声が頭上から降る。併せて、食事を邪魔しない程度の仄かな香りが鼻腔をくすぐった。

「…………ど、どうぞ。……エドウィン」

 恐る恐る隣を見遣れば、こちらを控えめに覗き込んでいた菫の瞳が微笑む。
 リアは今にもサンドイッチを頬張る寸前の体勢で、みるみる顔を赤く染めたのだった。