悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される

 尋問ムードが漂い、イザベルは言葉に窮する。
 前後左右にも退路はない。背後にヘルプの念を送るが、無言しか返ってこない。こんなときに主人を見捨てるなんて、薄情な執事である。

「こ、これには……理由がありまして……そのう」

 上目遣いにジークフリートを見やると、彼は口を閉ざしたまま腕を伸ばす。その手はイザベルの顔に向けられ、反射的に目をつぶる。
 だが、いくら待っても痛みは襲ってこなかった。代わりに、頭の上にあった重みがなくなり、ジークフリートが小さくつぶやく。

「……髪がボサボサだな」

 帽子の中に押し込んでいた髪が無造作に散らばり、イザベルは羞恥で顔が火照る。動揺を隠そうと、声高に抗議する。

「なっ……誰のせいですか! 勝手に脱がしておいて、淑女の髪をけなすなんて紳士のすることではありませんわ!」

 必死に手ぐしで整えようとするが、ひとたび絡まった髪はすぐには元に戻らない。

「すまない。つい、出来心だ」
「あ……謝ればいいというものでもありません」
「君があまりにもいじらしい目で見つめてくるから。とりあえず、まずは場所を移そう。ここでは営業妨害になる」

 そう言うや否や、ジークフリートはイザベルの肩を抱き、店の外へ連れ出した。後ろにはリシャールが空気のように付き従っている。
 オリヴィル公爵家のリムジンの前までやってくると、待っていた従者にジークフリートが伝言を残し、そのまま中央広場を通り過ぎる。
 てっきり車に乗って尋問を受けると思っていただけに、内心驚いた。しかも、イザベルが逃亡しないようにか、体はがっちり彼の腕でホールドされたままだ。
 密着していることの緊張よりも、だんだんと不安のほうが上回る。

「あの、どちらへ?」
「先週オープンしたカフェだ。うちも出資している」
「……カフェですか?」
「そうだ。裏通りに面しているから、人通りも少ない。庶民に扮した君と貴族の僕が話していても、好奇の視線にさらされる可能性も低い」

 裏通りは夜の繁華街に続く道だからか、昼間は人の気配がない。身なりのいい貴族が歩いていても、わざわざ振り向く人もいなかった。
 質屋と雑居ビルの間に、真新しい看板がひっそりと立てかけられている。ジークフリートは赤茶色のドアを開け、中へと入っていく。

「いらっしゃいませ。お連れ様はお二人ですか?」
「ああ。マスター、奥の席を借りるぞ」
「奥は段差がありますので、お連れ様はどうぞお気をつけて」

 老年のマスターは穏やかな声でイザベルに注意を促し、カウンターの中へと消えた。階段を数段下りたところは、ソファ席となっていた。
 ジークフリートは奥の席にイザベルを案内すると、彼女の後ろに控えていた執事に声をかける。

「リシャールも座ってくれ。ここのコーヒーは格別なんだ」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 ジークフリートがイザベルの横に腰を下ろし、リシャールはその正面に座った。
 すると、測ったようなタイミングでマスターが盆に乗せたコップを持ってきた。それぞれの手元に水の入ったコップが置かれる。カラン、と氷が傾く音が響く。

「ご注文はお決まりでいらっしゃいますか?」
「アイスコーヒーが二つと、イザベルはカプチーノでいいか?」
「ええ。お任せしますわ」
「かしこまりました。今しばらくお待ちください」

 マスターがいなくなると、ジークフリートは両手を重ね合わせ、議長のような面持ちで尋問の始まりを告げた。

「では早速、本題に入るとしよう。イザベル、何か申し開きがあるのなら聞くが」
「……わ、わたくしは悪いことはしておりません」
「では、庶民に変装をして、自由気ままに探検することはご両親はご存知であると?」
「そ、それは……でも、ルドガーお兄様はご存知ですわ。これは社会見学の一環なのです。なにもやましいことはしていません。ただ庶民の目線に立って、城下町の空気をじかに感じていただけなのです」

 ジークフリートに見つかったのは誤算だが、慎ましく庶民の生活を満喫していただけだ。世間一般的に、令嬢のお忍びは褒められた行動ではないだろうが、ここはどうか大目にしてほしい。
 その切実な思いを汲んでくれたのか、真顔で座っていたリシャールが眼鏡をかけ直し、ジークフリートに頭を下げた。

「恐れながら、申し上げます。イザベル様は自分の欲望に忠実なだけなのです」
「ちょっと待ちなさい。何を言う気?」
「庶民で流行っている恋愛小説、その最新刊が本日並ぶことを前もってリサーチされ、この日をずっと夢見ていたのです。私はお嬢様付き執事として、主人の夢を壊さずに見守ることを選びました」

 ちょうどコーヒーが運ばれてきた。苦味のある大人の香りがふわりと立ちのぼる。ジークフリートはアイスコーヒーを口につけ、ため息混じりに言った。

「なるほど。大体の事情は理解した」

 頭の回転が速いことは長所だろうと思う。しかし、生暖かい目で見つめられると、居心地が悪くなるからやめてほしい。
 イザベルは居たたまれなくなって、早口で告げる。

「……ご理解が早くて何よりですわ。わたくしと出会ったことは、どうぞご内密に。これ以上の深入り詮索は野暮というものです」