我輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
なんでも薄暗いじめじめした場所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
我輩はここで始めて人間と言うものを見た。
(夏目漱石作・「我輩は猫である」から)


ガヤガヤと騒がしい休み時間の教室。
一番後ろ、一番窓に近い端っこの席で、私、夏目猫名は手紙を書いていた。

『Mr.illusionさんへ
はじめまして、夏目猫名です。
今回手紙を書いたのは、Mr.illusionさんにお願いがあるからです。
私は好きな人がいます。けれど、告白する勇気が出ません。
さらに、友達に向かって「彼氏がいる」と見栄をはってしまいました。
今度紹介しないといけないんですが、どうすればいいですか?
夏目猫名より』

「ふぅ…緊張するな…」

(嘘の噂だったらどうしよう。
Mr.illusionが聞いてくれなかったらどうしよう。
もし代償を求められたら…!)

この学園で過ごす人はほぼ全員知っていると言っても過言ではない噂がある。
それは、「Mr.illusion」。
この学園内の使われていない旧校舎。
端の列の隅っこの下駄箱。
そこには「Mr.illusion」というネームプレートが貼ってある。
ネームプレートは、本当に悩みを抱えてる人だけが見えるという。
その下駄箱に手紙を入れておくと「Mr.illusion」が願いを叶えてくれる……らしい。
らしいというのは、本当に悩みを抱えてる人だけが見えるという部分に信憑性が無いからだ。
本当は「Mr.illusion」なんて無いんじゃないか、旧校舎でイタズラしてる奴がいるんだ、などさまざまな思惑が飛び交っていた。

「……………」
「おーい」
「……………………」
「おーいってば!」
「わっ!」

そんな噂を思い出していると、いきなり机を叩かれた。
私は文字通り、椅子に座ったまま飛び上がるという偉業を成し遂げた。
そろりと目の前をみると、あきれたような顔でこちらを見下ろしている2人がいた。
どちらも私の親友といえる大事な存在だ。
一人目は、森 舞姫(もり まひめ)。
さばさばした性格で、私たちのリーダー枠を完全にとってるかっこいい女の子だ。
教科書をもって不自然な姿勢で固まっている。
多分私が気づかなかったら教科書で叩くつもりだったんだろうな……
二人目は、太宰走男(だざい そお)。
落ち着いた性格で、私たちが突っ走らないように見守ってくれている優しい男の子だ。
……私の好きな人でもある。

「相変わらずの癖だね、考え事してるとなんも聞こえなくなるの!」
「まぁまぁ、今気づいたんだからいいじゃん。次移動教室だよ。…いこ?」
「あっ待っててくれたんだ!ごめんね~姫ちゃん、そ~くん」
「だから姫ちゃんっていうのやめろって!」
「2人とも、その会話何年続けてるの……?」

私は急いで次の授業の準備をして、席をたった。
教室を出るとき、1人の男子生徒がまだ残っているのを見つける。
私はつい立ち止まって、声をかけようか迷った。
すると舞姫とそ~くんが立ち止まった私を不思議そうに見て近づいてきた。
と、同時に男子生徒の姿を目にとめ、ニヤァとイタズラな笑みを浮かべる。

「あ~でた。猫名の命の恩人」
「入学式をサボるなんて初日から退学だったからね」
「まだ入学もしてなかったのにな~」

かわるがわる言い、こちらを見てくる。
まるで教えてあげろと言わんばかりに。