池田屋事変が終わり、その後も長州藩との戦いはあったものの、新選組に大きな被害が出ることはなかった。

そして二か月、新選組に新たな隊士が入隊した。

伊藤甲子太郎である。

入隊後、伊藤は参謀という役職に就き、それ以降私とのかかわりは一切なかった。

しかし、この人物が新選組を大きく変えることになるということは知っており、誰かに話したいのを必死にこらえていた。

それから数か月後、近藤先生が隊士全員を一か所に集め、話を始めた。

「新しい局中法度を制定する。

一、士道ニ背キ間敷事
二、局ヲ脱スルヲ不許
三、勝手ニ金策致不可
四、勝手ニ訴訟取扱不可
五、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也

これらを破った場合、幹部であろうと平隊士であろうと関係なく、厳罰つまり切腹させる。

異論は一切認めん。

これは新選組を存続させるため、重要なことであり、普段通りに生活していれば何も心配はいらない。

それともう一つ。
近々、屯所を西本願寺に移動させることになる。

詳細に関しては決まり次第追って連絡する。

以上、解散!」

この法度を聞いた隊士たちは動揺を隠せていなかった。

何か問題を起こしただけで切腹することになり、逃げることも許されないため、どうしようもできなかったのだ。