主人公視点/クロエ視点



「はい、どうぞ」
「失礼します」

 中から優しい女性の声がしたのに、ラウルさんがドアを開けて部屋の中に入る。
 そして頭を下げたのに、その先にいる相手へと視線を向けると――椅子から立ち上がった声の主、ラウルさんと同じ白い服に黒い布をかけ、黒いベールを被ったふくよかな女性がいた。年の頃は、四十代くらいだろうか? 

「修道院長の、クロエよ。ようこそ、イザベラ嬢。タリタ修道院へ……ここにいる間は、しっかり働いて貰いますね」
「院長様、いきなりそれは……」
「っ! はいっ、よろしくお願いします!」

 男女いるとは聞いていたが、修道院長は男性だと思い込んでいた。驚いて目を見張った私に、修道院長は水色の瞳を笑みに細める。
 そして前置きなく働くよう言われたのに、ラウルさんが嗜めて私に目をやるが――人によるだろうけど、私としては『働き手』という役割を与えられたことにホッとした。
 人間関係は勿論だが、知らない場所に慣れるのにも時間がかかる性質(たち)なのだ。けれど真面目に働きさえすれば、とりあえず何とかなりそうである。

(あと、院長様が肝っ玉母さんとか、食堂のおかみさん系なおかげもあるかな?)

 だから笑顔で答えると、クロエ様は軽く目を見張り、次いで笑みを深めて言った。

「良い子ね、働かざる者食うべからずよ!」
「はいっ」
「……まあ、大丈夫なら何より」

 そして意気投合する私達に、ラウルさんがそう呟いた。お気遣い、ありがとうございます。



 富裕層の貴婦人や令嬢が、修道院に来ること自体は珍しくない。あまり多くはないが、身内の不幸や家庭の事情を理由に連れられてくることもなくはない。
 だからクロエは、そういう相手には会って早々「働くように」と言う。可哀想だとは思うが、そうしないと部屋にこもってしまい、修道院にいる為の『資格』を失ってしまうからだ。

(どこにも行くところがなくて、来ているのに……泣き暮らして、衣食住だけ与えられると思われては、庇えないもの)

 大人数とまでは言わないが、一人きりでもない。流石に、来たばかりで何年もいる修道士達のように動けるとは思わないが、やる気を見せなければ他の者から不満が出る。そうすると、ここではなく他のところ――追い出された実家や家族の元に、戻さなければいけなくなるのだ。
 だから、と働くように言うと、聡明な者は暗い表情ながらも素直に頷く。
 屈折した者だと不満を露にしたり、逆にこの場は頷いても実際は何かと理由をつけて、祈りや労働を怠けようとする。
 ……けれど、イザベルはそのどちらでもなかった。
 艶やかな黒髪と、大きな琥珀色の瞳。闇と光の両方を併せ持つ、美しい女の子は。

「っ! はいっ、よろしくお願いします!」

 クロエの言葉に驚きこそしたが、すぐに安心したように頬を緩め――笑顔で、クロエの言葉に頷いた。

(寄付だけして、馬車を使わず歩いて迎えに来るように言われたから……酷い父親だとは、思っていたけど)

 反応が、貴族令嬢と言うよりむしろ孤児のそれだ。亡き母親に祈りを捧げたいと聞いていたが、生活は豊かでもこの女の子は家でさぞ辛い思いをしていたのだろう。

(まあ、この美しさだから……いつかは、家に戻されるかもしれないけれど)

 それまでは、少しでもこの子の心が安らかであるように――心の中で、クロエはそう神に祈りを捧げた。