学校でいいじめられていることは誰にも言ったことがなかったけれど、多分ばあちゃんは気づいていたのだと思う。



私がお風呂場で汚れた制服や上靴を洗っていた時も、「こうすると綺麗におちるよ」と、事情を聞くのではなくコツを教えてくれた。

身体を蹴られて全身が痛んだ時は「今日安かったからたくさん買ってしまったんだ。海歩にもあげようねぇ」と大量の湿布をくれた。




それが子供の育て親として良い選択だったかは分からない。これが母だったら学校に訴えに行くだろうし、父はきっと無視していた。


だから、ばあちゃんの選択は私にとっての正解だった。



思い返せば、小学生の時に天晴を連れて星を見に言っていた時もそうだった。

ばちゃんは気づかないふりをしてくれていた。あの頃から私は両親から嫌われていて、私という存在に需要を感じていなかった。



ばあちゃんは、いつだって私に自由をくれた。ばあちゃんだけが、ばあちゃんの言葉だけが、私の心の拠り所だったのだ。




「海歩、“雨夜の星”って言葉を知っているかい?」




ばあちゃんは私に素敵な言葉を教えてくれた。


雨夜の星。

意味を聞いて、無性にワクワクした。めったに見られないもののたとえに使うようだけど、私はそれよりも、“雨の日の星が見てみたい”と、強く思ったのである。



けれど、タイミングが悪く雨が降らない日が続いた。振っても小雨ばかりで、雨というよりは曇りの日ばかり。


そうしているうちに日が過ぎて、私もだんだん雨夜の星という言葉を忘れつつあった。