ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。



 例の天使ちゃんだ。彼女の顔は見間違えるはずがなかった。

 色々あったせいで思い出すことがなくなっていた彼女。相変わらず凛としてクールな、ともすれば人を寄せ付けがたいような空気をまとっていた。

 それなのに不思議なもので、彼女の顔を見た瞬間、胸のあたりがじんわりと温かくなった。

 いつだったかに声を掛けてみようかと考え、諦めた人。それが彼女の方から自分に声を掛けてくれている。少し気分が高揚しているのを、万が一にも悟られないよう表情を引き締めた。


『傘がなくて雨宿りしているのかと思ったので。良かったら使ってください』


 突然の出来事に反応が鈍くなっていた晴仁に、彼女は重ねて言った。

 彼女から手渡された安物のビニール傘は、晴仁の会社で扱う最も高価な商品よりずっと貴重な物のように感じられて、震える手で受け取った。

 折り畳み傘を持っているからとバッグの中を探る彼女を見ながら、この女性は自分の今の境遇を知って手を差し伸べてくれた本物の天使なのではないかと思った。

 じっと目に焼き付けるように彼女を見つめていると、不意に彼女のバッグから何かが落ちた。本人は気づく様子がなくそのまま去ろうとしたので、慌てて呼び止めて拾い上げた。
 それは、この近所にある青藤大学の学生証だった。当たり前だが彼女は別に天使でも何でもなく、その青藤大学の学生だったのだった。直島(なおしま)夏怜(かれん)という名前もそこで知った。

 すぐに本人に返してしまったが、ただたまにすれ違うだけの存在だった人の名前を思いがけず知ることができた。

 これは何かの運命ではないかと思った。

 直島夏怜という女性と関わるチャンスを天が与えてくれたのだとしたら、これを逃す手はない。