ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。



 木坂家の当主からは直々に謝罪され、晴仁としても澪との結婚にこだわっているわけではなかったので、その件は意外とすぐに収まった。


 だが、その辺りを皮切りに、色々なことが上手くいかないようになった。

 取引先との会合で度々ミスをしてしまったり、重要な書類をなくしかけたり、他にも色々と。とにかく散々だった。
 また、婚約を解消されたことをどこから聞きつけたのか、有名企業との繋がりを作ろうと目論む人たちからたくさんのアプローチを受けるようになり、悩みの種が増えた。
 そんな苦境が重なった晴仁は目に見えて疲弊していたようで、とうとう社長である父からしばらく休息をとるようにとの指示が出されてしまった。

 一応抵抗はしてみたものの、結局その指示に従うことにした晴仁は、その日頭を冷やしたいという思いもあり、時々するように会社から自宅までを自分の足で歩いていた。

 使用人と駆け落ちした澪のこと、犯してしまったミスのこと、しつこく言い寄ってくる欲望に満ちた女性たちの香水の匂い。忘れようとしても、頭の中からそれらは簡単には消えてくれない。
 そして、まるでその苦悩を表すかのように、雨が降り出した。

 のろのろとコンビニの軒下に入り、どんよりとした空を見上げていた。雨は強まり、立っている場所にも降り込んでくるようになった。服や髪が雨に当たっているような気がしていたが、動く気にはなれなかった。

 そんな時だった。


『この傘、使いますか?』


 ごく近くから、そうやって声を掛けられた。小さく静かな感じだが、妙にはっきりと通る声だった。

 ゆっくりと声のした方に顔を向けて、思わずあっと声を出しそうになった。