やっぱり彼女は溺愛されていることを知らない

「さて、何か言いたいことはない?」
「え、えーと」

 私は中森さんから視線を逸らした。八階への上り階段の壁は灰色でところどころ汚れている。

 そこにカンペでも貼ってあれば良いのだが残念なことにそんな都合のいいものはない。

 あっ、あの天井のほうにあるシミ、人の顔っぽい。

 とか現実逃避してみたり。

「ちゃんとこっち見なさいよ」

 中森さんが指で私の顎をクイッと上げた。

 反射的に私は彼女に目を合わせてしまう。彼女の目がきつい。その鋭さはレーザービームのように私を射貫こうとしている。

「あたしあんたのこといい人かもって思ってたんだけど違ったのかしら?」
「……」

 掠れるような声が漏れたけれどそれは言葉にならなかった。冷や汗が頬を伝って零れ落ちる。