やっぱり彼女は溺愛されていることを知らない

 人の群れを避けるようにエレベーターではなく階段のほうへと進む。私の所属する第二事業部は八階だ。

 四階の踊り場で一度足を止めたとき下から足音が響いた。コツコツと音を鳴らして誰かが上がってくる。

 何となく気になってそちらへ顔を向けているとむすっとした表情の三浦部長が現れた。彼も私に気づいたようで声がかかる。

「大野か、おはよう」
「おはようございます」

 私が会釈すると彼は踊り場まで昇ってきた。

「朝からまゆかの顔を見られるなんて超ラッキー」
「はい?」

 三浦部長のぼそぼそ言う声は小さすぎて私には聞き取れない。

 聞き返すべきかと迷っていると三浦部長が言った。

「今朝は特に冷えるな」
「あ、はい」

 部長の言葉に私は応える。満足げにうなずいてから彼は少しだけ声を低めた。