幼い時も宮殿に戻った今も、自分を気に掛けてくれる人間は誰一人としていなかった。
 母は物心つく前に死に父は息子に、とりわけイザークに興味がない。いてもいなくても同じだとレッテルを貼られているようで苦しかった。
 そんな暗くて辛い感情ばかりを抱いてしまうこの宮殿で、居心地が良くて温かな気持ちになったのは初めてだった。

 イザークは少女のことをもっと知りたくなった。


「街の人たちというのはどういう意味だ? 君は一体……」
 尋ねようとすると、遮るように前方から声が響く。
「シンシア! ここにいたのか。ワシから離れるなとあれほど言っただろう」
 黒の祭服と紐文様の刺繍が入った緑の肩掛けを身につけている大神官・ヨハルだった。


 街の人たちと言っていたのは彼女もまた教会の人間で慈善活動をしているからなのだろう。シンシアと呼ばれた少女は手を上げてヨハルの元に走って行く。

「もう間もなく皇帝陛下との謁見だ。頼むからどこかに一人で行かないでくれ」
「分かってます。――ヨハル様、ちょっと待って」

 シンシアはくるりとこちらに向き直ると、再度不格好な礼をイザークにする。それからにっこりと微笑むとヨハルと並んで歩いて行った。
 その笑顔はイザークの目に焼き付いたと同時に初めての感情を抱かせた。

 胸の辺りがむず痒く、キュッと締め付けられたような感覚がする。けれど決して不快なものではない。

 イザークは胸の辺りの服を手で押さえると少女の後ろ姿を暫くの間眺めていた。