私は顔を上げて、お母さんの揺れる赤い目を見て言う。

「私は……っ、私も、大好きだよ。お母さんのこと、ずっと……大好きだよっ」

 恨んでなんかない。恨めるわけがない。

 だってお母さんはこんなにも……私達のことを、思ってくれていたんだから。

「水葉……っ」

 お母さんは澄んだ、優しい瞳で私を見つめる。そして、柔らかく微笑んだ。

 あぁ、なんだ。

 こんなに簡単だったんだ。

 ずっと胸の奥にため込んでいた我儘は、案外すらすらと口に出すことができた。

 まるで、暗記した台本のセリフのように、いとも簡単に。

 ずっと私が欲しかったものは、最初からそこにあった。

 私は最初から、お母さんにたっぷりと愛情を注いでもらっていた。

 私の目は、耳は、口は、人形の顔についているお飾りではない。

 ちゃんと、お母さんを真っ直ぐに見ることができる。

 ちゃんと、お母さんの「愛している」を聞き取ることができる。

 ちゃんと、お母さんに「大好き」と答えることができる。

 ——私はちゃんとお母さんに愛されている、望まれている〝人間〟なんだ。


 その日の午後。お母さんはいつも通り、出勤して行った。

 お母さんは心配そうに何度も「今日は休んで、一緒にいようか?」と言ってくれたが、私は首を横に振った。

 お母さんが今でも、私を愛してくれていた。

 それを知れただけで充分だった。

 お母さんが出かけてすぐに、私は家の固定電話の受話器を取る。

 入部初日に、日野川先輩にもらったルーズリーフ。その隅に書かれた番号通りにボタンを押し、受話器に耳を当てる。

 機械的なコール音が数回流れた後、「はい」と日野川先輩の声が聞こえた。

「あ……えっと、白樺です」

「やぁ、お人形さん」

「日野川先輩。その……終わりました。全部」

「そっか。それで、どうだった?」

 私は日野川先輩に、お母さんとの会話を全て伝えた。

 話している途中で何度か泣きだしそうになったが、日野川先輩の「大丈夫。ゆっくりでいいよ」という優しい声に慰められた。

「よかった。それじゃあ、上手くいったんだね」

「はい。……ありがとうございました」

 一瞬『日野川先輩のおかげです』と言いそうになったが、日野川先輩の様子がおかしくなったあの日を思い出し、咄嗟に言葉を変えた。

 日野川先輩には本当に、感謝してもしきれない。

「僕は何もしてないよ。お人形さんが自分の思いをはっきり伝えられたからでしょ。……と、君はもう、〝お人形さん〟じゃないんだったね」

「そう、ですね」

「今更〝白樺さん〟って呼ぶのも、なんかおかしいかな?」

「……今まで通り、〝お人形さん〟呼びでいいですよ」

「いいの?」

「はい」

 だって、私が〝お人形さん〟じゃなかったら……日野川先輩と出会うことも、演劇部に入ることもなかった。

 この呼び名は、私が皆に会えた、日野川先輩に救われて〝人間〟になれた証だから。