「……ない」

 窓から茜色の光が差し込む誰もいない閑散とした教室で、ぽつりと呟く。

 もう十一月に入ったというのに、私の制服は生温かい汗でぐっしょりと濡れていた。ワイシャツの中に着ているヒートテックが、肌にぴったりと貼りついて気持ち悪い。

 この尋常でない量の汗は、先程の恐怖が原因ではない。ここにあるべきはずの茶封筒が忽然と姿を消していることが原因だった。

 教室の窓側から二列目、教卓から最も離れた一番後ろの私の席。

 渡り廊下に向かう前には、確かにこの机の上に置いていたはずなのに。

 私は自分の机上から、夕焼け空を映す窓に目をやる。

 教室の窓は日直が放課後の清掃の後に鍵をしめることになっているため、窓は全て閉まっている。

 つまり、外から吹き込んできた風に飛ばされたなんてことはありえない。

 なら、一体何処に?

 屈んで辺りの床を確認する。……ない。

 机の中は? 前の席の机は? その下は? 教卓の中、教室の床の四隅、掃除用具入れの中……。

 ……ない。ない。何処にもない。

 教室のごみ箱の中は空っぽで、消しカス一つ入っていなかった。

 もし、誰かにあれを持っていかれていたら? もし、誰かに中身を読まれたら? もし、それが担任の先生を通じて、お母さんの耳に入ったら?

 想像するだけでサァッと血の気が引いていく。背筋が寒くなり、小さく身震いをした。

 ……探さなきゃ。絶対に、何としてでも、見つけなきゃ。

 唇を噛み締め、縋るような思いでもう一度教室の隅から探し始める。


「何してるの?」

 教室中を探し回り、再びごみ箱の中を覗き込んでいたとき。

 ふいに、後ろから声が聞こえた。

 ビクリと大袈裟過ぎるほどに肩を震わせ、慌ててごみ箱の前から飛び退く。

 ごみ箱を漁る、変な奴だと思われた……?

 恐る恐る振り返ると、黒板横のドアの側に黒髪の男子生徒が立っていた。

 やや癖毛気味の黒髪は、毛先がつんつんとあちこちに跳ねていて、一見寝ぐせかと勘違いしそうになる。

 ワイシャツの襟元を緩く締める緑色のネクタイ。それを見て、彼が私より一つ上の三年生だと悟る。

「ねぇ、何してるの? 放課後の誰もいない教室に一人残ってごみ漁り?」

 黒髪の先輩はやんわりと笑顔を浮かべたまま、もう一度尋ねる。

 この教室には私と彼以外の人影はない。もしかしなくても、黒髪の先輩が尋ねている相手は私だ。

 私がごみ箱を漁っていた姿を見たのがクラスメイトではなかったことに安堵しつつ、慌てて両手を横に振りながら弁解する。

「ち、違……います。 今のはその、探し物をしていて」

「探し物?」

「このくらいの、茶色い封筒なんですけど……。えっと……何か知ってますか?」

 両手で封筒の大きさを表しながら、黒髪の先輩に問いかける。

 すると黒髪の先輩は得意げな様子で、右手を左肩にかけた鞄の中に入れる。

 ガサゴソと鞄から小さな物音が聞こえた後。黒髪の先輩は〝それ〟を取り出し、自分の顔と同じ高さに掲げた。

「それって、これのこと?」

「あ……っ!」

 縦長の茶封筒。その表紙には、控えめな小さい字で〝白樺(しらかば)水葉(みずは)〟と私の名前が書かれている。

 間違いない。私の探していた物だ。