一通り荒れたお父さんが二階の寝室に行った後。お父さんに殴られた直斗は唇から滲む血を洗い流すために洗面所に向かう。そしてリビングに残った私とお母さんは、散らかったリビングの後片付けを始める。

 慣れた手つきで床に転がったコップやリモコンを拾っていると、その最中にお母さんが私を励ますように言った。

「私は今日の演奏、とっても感動したわ。水葉のいる吹奏楽部の、日々の練習の成果ね」

「……うん」

 自分でも、今日の演奏は今までで一番上手くできていたと思う。

 演奏が終わった後、指揮をしていた顧問の先生も上機嫌で褒めてくれた。

「大丈夫よ。水葉には私がついてるから」

「うん」

「……クラリネット、新しいの買いに行こうね」

「……」

「……水葉。ごめんね。泣きたいときは泣いてもいいのよ」

「……別に、泣きたいわけじゃない」

「そんな顔するくらいなら、泣いてもいいのよ」

「だから泣きたいわけじゃないって」

「でも……」

「もうほっといてよ!」

 ダンッとリモコンを机の上に叩きつけて、リビングから出て行こうとする。

 しかしそれよりも先に、お母さんが私の手を掴んだ。

「待って水葉!」

「……何?」

「わざと、なのよね?」

「だから何がよ!」

「だって水葉、さっきから顔が——」


 あの日。お父さんの言霊は、私に呪いをかけた。

 私の心は、長年大切にしてきたクラリネットのように壊れた。

 私の体は、五体余すところなく細い細い糸で縛られた。

 その瞬間から、心も体も、私のものではなくなった。

 未来の可能性の数だけ分岐点で満ち溢れていた道は、いつの間にか真っ暗な闇に包まれていて、やがて、終わりの見えない一本道となった。

 お父さんの怒鳴り声に脅え、お父さんの手を恐れ、お父さんの機嫌を損ねないように舞い踊る。

 そんな私は、もはや人間とは呼べないだろう。

 人間の姿形をした、人間とは違う何か。 

 例えるなら、そう。


 ——〝人形(マリオネット)〟だ。


 お父さんの元から離れると、私の手足を縛っていた糸はぷつりと切れた。

 けれど、だからと言って、元通りの人間に戻れるわけではなかった。

 今まで糸で縛られていた箇所は、擦り切れて、深い傷跡が残った。

 深く刻み込まれた傷が癒えることはなくて。

 私は今でも、過去を恐れ、あの頃に縛られたままだった。