婚約破棄するはずが、一夜を共にしたら御曹司の求愛が始まりました

「ここ、いい店でしょ。俺、このあたり詳しいんだ。よかったら今度案内するし」
「は、はぁ」

 紅の隣をがっちりキープしているのは、三木と同じ課の藤谷だ。紅よりふたつ年上の二十七歳。紅は今夜初めて彼を認識したが、どうやら彼のほうは紅を知っていたらしい。

「二ノ宮さん、ほんと美人だよね。なんで公務員なんかになったの? CAとかマスコミ系とかいけそうなのに」

 市役所職員といえば、真面目で堅実そう。世間のイメージはそんな感じだろうか。そして、実際にそのイメージを崩さない人間が多いと紅は思っていた、彼のようなタイプも存在していたとは……純粋に驚いた。
 もちろん別に真面目で堅実でなくてはいけないとは思っていない。口調が軽いとか、六本木が好きとか、そんなのは個人の自由だ。
 ただ、自分の職業を「なんか」と言ってしまう人間はあまり好きになれそうになかった。

「俺、ほんとは広告代理店希望だったんだよね。でも、あの業界って学歴第一で就活厳しくてさ。とりあえず滑り止めのはずだった公務員になったけど、なんか馴染めないってゆーか」
「そうですか……」
「ぶっちゃけ、仕事も人間もつまんなくない?」

 紅だって、元々は市民のためとかそんな立派な理由で公務員を志したわけではなかった。安定した地位を求めた結果だった。だから偉そうなことは言えないが……それでも彼の発言には少し腹が立った。