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「じゃあ、これはしっかり責任をもって私がポストに出しておくよ」
「…はい。おねがいします」
マスターの手には、2つの封筒が握られている。
一つは莉乃へ。もうひとつは、今目の前にいる──マスターへ。
喫茶店の扉を開けてマスターに背を向けたら、もう、マスターとは会えなくなってしまう。喫茶店の場所も、サービスしてくれた珈琲の味も、ここに莉乃と翼くんと3人で来た過去も。徐々に思いだせなくなって、気づいたら忘れてしまうかもしれないけど。
───それでも、マスターに私の後悔を救ってもらったことだけは忘れたくないから、書いた手紙に私の全てを乗せて届けようと思ったのだ。
「莉央ちゃん」
くるりと背を向けようとした私をマスターが呼び止める。
「君たちに良い未来があることを祈っているよ」
マスターの、しわのある目尻から一粒の涙が零れる。油断したら、私まで泣いてしまいそうだった。
「…珈琲おいしかったです。ごちそうさまでした」
「はは。あたり前さ。何十年も守り続けた味だからね」
「…また飲める日が来たらいいなって思います」
もう二度と、思いだせないかもしれないけど。
静かに語り掛けるような声も、マスターに言われた言葉も、その涙も、ずっと覚えておきたい。
今この瞬間だけは、当たり前に明日を信じていたい。
「…マスター。…莉乃の分もお礼を言わせてください」
「はは。しかと受け止めたよ」
「…たくさんありがとうございました」
───どうか、マスターに未来がありますように。



