マスターは、僕が知らない昔の莉乃のことをよく知っていた。



僕と付き合うことになった日、彼女は真っ先にマスターに伝えに来たという。
僕と喧嘩をした日、いつも彼女はマスターに相談に来ていたという。
僕が大学に合格した日、彼女はマスターにその喜びを伝えに来たという。


彼女の両親は互いに仕事が忙しく、彼女が幼いころから喧嘩が絶えなかったらしい。本来帰るべきところに居場所がなかった彼女にとって、この店は第2の家だった。


僕が彼女の彼氏としてマスターに紹介されたのは、もう何年も前のことだ。彼女が死んでから僕がこの店に来れなくなったのは、彼女との思い出が詰まった場所だったからという理由がある。



3年ぶりにこの場所に足を運んだのは無意識だった。


腹が減った。
久々に抱いたその感情は、無意識のうちに僕をこの場所に運んでいたのだ。



「俺はもう、生きてる意味が見つけられません」



僕とマスター、2人分の呼吸だけが聞こえる空間に、僕の掠れた声が響いた。