「自分と正直に向き合わないと。理由、思い出した?」
「……お母さんが喜ぶと思ったから」
「そうだね。ボクにはお見通しだったよ」

 ミャアは机の陰に身体を屈め、手に紙玉を持って起き上がる。
 今朝、私が投げ捨てた紙を、気づかぬ内に拾っていたらしい。

 短い指を精一杯開いたミャアは、両手と顎を駆使して、テーブルの上に紙を広げた。
 (しわ)くちゃの“ごめんなさい”が、再び私の前に突き出される。

「返事、書いて」
「返事って言われても……」

 母が頭を下げようが、私は謝りたくない。
 私が物心ついてからずっと、騙してきたのは事実だ。

 許すのも、今は難しい。
 あれだけ偉そうにしておいて、こんな不始末は無いと思う。
 ごめんの一言で済む話なものか。

 しかし、真実を知って一日近くが経つと、怒りを保つのにも疲れてきた。
 もっと早くに教えてほしかった、これが偽りない本音。
 でも、返事で書くには相応しくない。

 テーブルの端に転がるボールペンは、母が使ったものだろう。
 ミャアに急かされてボールペンを掴み、母の書いた字を凝視する。

 書くとしたら、これかな。
 ボールペンの描く軌跡を、ミャアが熱心に覗き込んだ。

 “ありがとう”

 何に対しての感謝かは、どうだっていい。
 嘘じゃない、大事なのはそれだけだ。

「はぁー、これで全部解決だ」
「危ないよ、椅子の上で踊ると」
「ホッとしたら、またお腹が空いちゃった。ピンクのも食べていい?」
「食べられるなら、三つともどうぞ」

 幸せいっぱいというカワウソスマイルに、私もつられて頬が緩んだ。
 頭から順に食べ進み、お腹のイチゴクリームで口の周りを汚し、遂には尻尾の先を堪能して齧る。

 本当に帰るのだろうか。
 鯛焼きの誘惑に屈せばいいのに。

「飲み物も用意するよ」

 オレンジジュースを取りに、冷蔵庫へと向かう。

 ペットボトルを掴み、ドアを閉めて振り返ると、ミャアはもういなかった。

「ミャア?」

 登場時と同じ。
 挨拶もせず、忽然と消えて、テーブルには二匹の鯛焼きだけが残る。

「ねえ、どこにいったの? ミャアってば!」

 床を確かめたあと、自室へ行き、家の中を一回りもした。

 ミャアの姿はどこにも無く、いなくなると痕跡すら見つけられない。
 これじゃ幻、私がどうかなって、白日夢を見ていたみたい。

 ダイニングへ戻った私は、さっきまでカワウソが立っていた席を、ただ呆然と眺めた。

「お別れくらい、言わせてよ……」

 ひくつきそうな鼻を気合いで抑え、鯛焼きの載った皿にラップをかける。

 奇妙奇天烈な二日間だった。

 紗代も勝巳も、決して信じやしないだろう。
 だけど、幻覚なんかじゃなかったと、私には断言できる。
 ふくらはぎには、やっぱり薄く青痣が出来ていたもの。


 この日、母は外で夕食を済ませて帰ってきた。
 お互いぎこちなく、会話もたどたどしい親子が、深夜の食卓につく。

 ポツリポツリと言葉を交わしつつ、私たちは二匹の鯛焼きを食べた。