遅刻寸前の電車内と通学路は、普段よりも人が多い。
殺気立った集団に混じって、私は久々に全力で疾走する。
結果から言えば、始業の二分前に教室へ滑り込むことに成功し、息も絶え絶えに授業内容を聞き流した。
一限の政経が終わる頃には、さすがに呼吸も落ち着いたが、頭はまだ混乱気味だ。
休み時間に勝巳が寄ってきて、英作文の宿題を見せてくれと頼む。
自分の解答に、全く自信が無いんだとか。
「間違えてたっていいじゃん」
「前で書く番なんだよ。あんまり酷いと、またブチブチ言われちまう」
答えを丸写しするような性格ではないので、彼に見せるのは構わない。
数学では助けてもらっていたので、お互い様だろう。
プリントを彼へ向けて広げると、勝巳は自分の解答と見比べ始めた。
ちょっと距離が近いと文句を言いそうになったのは、私が意識しすぎなのかも。
「なるほどな、仮定法を使うのか」
「“もしそうなったら”ってしてしまえば――」
「あのさ」
「ん? 納得できない?」
「いや、今朝は何かあったのか?」
体育でもトロい私が、今朝は息せき切って教室に飛び込んできたのを、事故にでも遭ったのかと思ったらしい。
適当に誤魔化そうかとも考えたが、思い切って話してみることにした。
「口は堅かったよね?」
「うん、まあ」
バッグの中を引っ掻き回してスマホを取り出すと、勝巳は校則違反だと軽く注意する。
よっぽどの緊急事態でもない限り、校内での操作は禁止されていた。
でも、今はその緊急事態だ。
データフォルダから、今朝撮ったばかりの画像を探す。
「ちょっとこれを見……あれ?」
「カメ?」
ウミガメは写っていても、カワウソはいない。
在るのは不自然な凹みだけ。
薄々そうじゃないかなとは予想していたので、驚きはしないけども。
「これ、私の部屋なんだけどさ」
「へえ。カメだけじゃ、感想は言いにくいな」
「ここにカワウソがいたのよ」
「甲羅があるからカメだろ」
「クッションの上で寝てたけど、カメラで撮れないんだって」
ふーん、と半端な返事をして、彼はプリントに向き直る。
分かってる、毎度かつがれてる勝巳にすれば、カワウソくらいじゃ動じなくて当たり前。
信じないというより、素っ頓狂な話を聞くのは日常茶飯事なのだ。
「そのカワウソ、喋るんだよ」
衝撃の事実が、彼の顔を上げさせる。
どうだ、これは驚くよね?
「ないな。可愛いけど」
「ペットならね。ペラペラ喋りまくるだけならともかく、その内容がさ――」
「アヤにしては可愛い嘘だと思うよ。でもまあ、そんなカワウソはいねえ」
「いやいや、本当なんだって!」
先生が来るまで懸命に説明すれど、彼の態度に変化は無く、「カワウソは喋らない」と繰り返された。
なぜそこだけ常識的なのよ。
そりゃ私だって、実際に体験しなければ信じなかったけどさ。
仮に勝巳を巻き込めたところで、事態の解決に役立ちはしまい。
そう自分を納得させ、残りの授業を淡々と熟した。
進学する者が大半のクラスなので、この時期の授業内容は復習ばかりである。
英語は比較的真剣に、数学はこれでもかと不真面目に取り組みながら、手の空いた時間はミャアについて考えた。
四限が終わろうかという時点で、カワウソが教室に乱入してくるような騒ぎは起きていない。
写真に撮れなかったことからすると、他人には見えないことも十二分に有り得る。
耳元で喋りまくられることも無いし、学校生活は平穏に過ごせるということか。
時折、目の端にオレンジの影が映り、ヒヤッとした瞬間はあった。
慌てて視線を向けると、机に光が反射しているだけだったり、オレンジ色のバレッタだったり。
四度も見えたのは不審だが、まあ、気のせいなのだろう。
……気のせいだって、たぶん。
殺気立った集団に混じって、私は久々に全力で疾走する。
結果から言えば、始業の二分前に教室へ滑り込むことに成功し、息も絶え絶えに授業内容を聞き流した。
一限の政経が終わる頃には、さすがに呼吸も落ち着いたが、頭はまだ混乱気味だ。
休み時間に勝巳が寄ってきて、英作文の宿題を見せてくれと頼む。
自分の解答に、全く自信が無いんだとか。
「間違えてたっていいじゃん」
「前で書く番なんだよ。あんまり酷いと、またブチブチ言われちまう」
答えを丸写しするような性格ではないので、彼に見せるのは構わない。
数学では助けてもらっていたので、お互い様だろう。
プリントを彼へ向けて広げると、勝巳は自分の解答と見比べ始めた。
ちょっと距離が近いと文句を言いそうになったのは、私が意識しすぎなのかも。
「なるほどな、仮定法を使うのか」
「“もしそうなったら”ってしてしまえば――」
「あのさ」
「ん? 納得できない?」
「いや、今朝は何かあったのか?」
体育でもトロい私が、今朝は息せき切って教室に飛び込んできたのを、事故にでも遭ったのかと思ったらしい。
適当に誤魔化そうかとも考えたが、思い切って話してみることにした。
「口は堅かったよね?」
「うん、まあ」
バッグの中を引っ掻き回してスマホを取り出すと、勝巳は校則違反だと軽く注意する。
よっぽどの緊急事態でもない限り、校内での操作は禁止されていた。
でも、今はその緊急事態だ。
データフォルダから、今朝撮ったばかりの画像を探す。
「ちょっとこれを見……あれ?」
「カメ?」
ウミガメは写っていても、カワウソはいない。
在るのは不自然な凹みだけ。
薄々そうじゃないかなとは予想していたので、驚きはしないけども。
「これ、私の部屋なんだけどさ」
「へえ。カメだけじゃ、感想は言いにくいな」
「ここにカワウソがいたのよ」
「甲羅があるからカメだろ」
「クッションの上で寝てたけど、カメラで撮れないんだって」
ふーん、と半端な返事をして、彼はプリントに向き直る。
分かってる、毎度かつがれてる勝巳にすれば、カワウソくらいじゃ動じなくて当たり前。
信じないというより、素っ頓狂な話を聞くのは日常茶飯事なのだ。
「そのカワウソ、喋るんだよ」
衝撃の事実が、彼の顔を上げさせる。
どうだ、これは驚くよね?
「ないな。可愛いけど」
「ペットならね。ペラペラ喋りまくるだけならともかく、その内容がさ――」
「アヤにしては可愛い嘘だと思うよ。でもまあ、そんなカワウソはいねえ」
「いやいや、本当なんだって!」
先生が来るまで懸命に説明すれど、彼の態度に変化は無く、「カワウソは喋らない」と繰り返された。
なぜそこだけ常識的なのよ。
そりゃ私だって、実際に体験しなければ信じなかったけどさ。
仮に勝巳を巻き込めたところで、事態の解決に役立ちはしまい。
そう自分を納得させ、残りの授業を淡々と熟した。
進学する者が大半のクラスなので、この時期の授業内容は復習ばかりである。
英語は比較的真剣に、数学はこれでもかと不真面目に取り組みながら、手の空いた時間はミャアについて考えた。
四限が終わろうかという時点で、カワウソが教室に乱入してくるような騒ぎは起きていない。
写真に撮れなかったことからすると、他人には見えないことも十二分に有り得る。
耳元で喋りまくられることも無いし、学校生活は平穏に過ごせるということか。
時折、目の端にオレンジの影が映り、ヒヤッとした瞬間はあった。
慌てて視線を向けると、机に光が反射しているだけだったり、オレンジ色のバレッタだったり。
四度も見えたのは不審だが、まあ、気のせいなのだろう。
……気のせいだって、たぶん。