彼が口を開くまで、真希の息が詰まる。

「……通った」
「ま……えっ、やったじゃん」

 祝いを口に仕掛けて、真希はまたすぐ黙った。
 朗報にしては、夏尹の表情が冴えない。
 彼女が膝立ちで窓辺へ近寄り、スマホを覗こうとしたところ、顔を上げた彼と目が合う。

「モブ……よりは上かな。セリフがある」
「どれくらい?」
「たぶん、二言ほど。本当は、そのモブの相手をする役を受けたんだけどな」

 端役なら、既に何度か経験がある。
 三度、いや四度だったか。
 これで五度目となる微妙な結果が、どれくらい喜ばしいことなのか真希では判断がつかなかった。
 眉を(ひそ)めていた夏尹が、薄く笑みを浮かべてスマホの電源を落とす。

「ま、とりあえずセリフの練習だ」
「そう……」

 指の間から(したた)ってしまいそうな、ごく小さな喜び。
 これを変化と言うのは厳しい。

「やっぱり、雨が上がったら出てく」
「そっか」
「傘が欲しい。また降るかもしれないし」
「青い傘、持ってたろ?」
「店で盗られたんだ。新しく買おうと思う」

 おもむろに立ち上がった彼は、財布をポケットへ突っ込み、黒いキャップを被った。

「買いに行こう。晩飯も仕入れたいし」
「ん」

 安い傘なら、近所の商店街でも買える。
 ラフなTシャツ姿でも、誰も気にしないだろう。

 アパートを出て、二人は連れ立って歩く。
 水道管工事が積み重なり、継ぎ接ぎだらけになったアスファルトの道。
 今朝方までの雨で、あちこちに水溜まりが出来ていた。街に落ちる雨粒は、とうに降りやんでいたんだけども。

 道の端に寄った真希へ、夏尹が右手を差し出す。
 一拍ためらった彼女は、何か言いかけたのを諦め、結局その手を握り返した。

「やんだら出ていくから」
「そうだな。もうすぐやむさ」
「……どうだか」

 曇天の下、彼女の顔も薄暗い。
 晴れたら笑えるだろうに、と、視線は前方の水溜まりへと落ちる。

 梅雨の真っ只中、蒸し暑さばかりが彼女を包んだ。