何も毎日撮らなくても、と友人には言われたし、学校をサボるのはやり過ぎだと親には(さと)される。
 でも、毎日だからいいんじゃないか。
 君との一年を、一冊に閉じ込められるのだから。

 紫陽花を撮るために電車で三十分、レッサーパンダを撮るにはバスを乗り継いで一時間も掛かった。
 七夕は笹飾りが有名な古都へ赴き、花火大会では裏山に登る。
 暗い夜道が危なっかしく、道中はしっかりと手を繋いで歩いた。お互い汗ばんだ手だったけど、ちっともイヤじゃない。

 一年分で、ちょうどアルバムが埋まると計算済みだ。
 九月の写真を撮り終えたらどうしよう、そんなことをぼうっと考える。

 フィルム写真は、いつか色褪せるのだろう。
 それが三十年か、五十年か、それとも百年かは分からない。データと違って、劣化するのが紙焼きというものだ。
 だけど、実体の在る写真が(いと)おしかった。
 三百五十枚を超えた今、そう断言できる。