彼女が恋した男は、ふたつ年上で、ちいさなデザイン会社で働いていると言った。
スラリと背が高く、風に舞う茶いろの髪がうつくしかった。
彼女の話に、目尻を下げて笑う。
それだけで夢中になった。
家に誘われたときは、断るなど考えもしなかった。

はじめてできた彼氏を友達もよろこんでくれた。
今までついて行けなかった恋愛の話題にも加われたし、服を選ぶのも楽しくなった。
しかし、「今度紹介するね」という約束は、半年経っても果たせていない。

『は? 付き合ってねぇよ』

彼の家に通うようになってひと月したころ、はっきりとそう言われた。

『わたしたち、付き合って一ヶ月だよね。記念にどこかデートしようよ』

家に呼び出されるだけの毎日に、少し唇を尖らせて抗議した。
出不精の彼は、デートを拒否するかもしれないとは思ったが、その返答は想像もしていなかった。

『……付き合って、ないの?』

『「付き合う」って言ってねぇじゃん』

『言ってないけど……』

それならいったいどういう理由で、毎日のように抱いているのか。
はじめての痛みさえ、愛だと思って耐えた意味が、根底から崩れていくようだった。

『付き合ってねぇけど、お前は俺の女だろ』

“俺の女”が何をするものなのか、彼女は知らなかった。
言われるままに家に通い、ハンバーガーや牛丼やマンガを届け、身体で奉仕した。


早く、早く、早く、早く……

なんのために急いでいるのか、彼女自身もわからない。
よろこぶ顔が見たいなどという、甘やかな気持ちではなかった。

「おせーって! 走ってこいよ!」

十五分後についた彼女を、男は当然のように怒鳴って、ハンバーガーショップのビニール袋を奪い取った。
そのままドアを閉められることもあるが、今日は何も言わず部屋に戻るので、彼女もそのあとについて部屋に上がる。
氷点下を歩いてきたはずの身体は少し汗ばんでいて、暖房の効いた部屋は暑く感じられた。

「ほら、おせーからポテト冷めてる。ポテトは揚げたてがうまいのによ」

男はパソコン画面から目をはなさずに文句を言う。
それを聞き流しながら、雑誌とスナックの空袋を寄せて、自分の座るスペースを作った。

寄せた雑誌の下から、避妊具の空袋が出てきたが、ここ数日は呼ばれていないから、別の誰かと使ったものだろう。
隠す気づかいを望むことさえ、贅沢だった。
ため息を噛み殺して、他のゴミと一緒にゴミ箱に捨てる。

どんなに態度が悪くても、不誠実でも、この人は殴ったりしないし、避妊もしてくれる。
だからマシなほうだ。
世の中には、もっと悲惨な人もたくさんいるのだから。

彼女は考えることをやめた。
どんなに弄ばれようと、男が言うように「減るもんじゃない」。
身体を重ねてしまえば、一回でも百回でも同じ。