信号が青になり、男性は乗り口の方へ移動する。

「いつかまた会うことがあったら、そのときこのお礼します」

ピンクいろの髪の少女が、彼の右手で笑っていた。
彼女はこくんとうなずく。

「いいですね。その無責任な約束」

「『無責任』って……」

男性は渋い顔になった。

「いま俺が女子高生に連絡先訊いたら、何かの法律に抵触しそうだし……」

「だから別にいいんです、お礼なんて」

「うーーーん」

男性は胸ポケットから名刺を取り出して、番号を書き加えた。

「イタズラには使わないでよ」

バスが到着して、男性がその行き先表示を一瞥する。
そして急かすように名刺を強く突き出した。

「いりません」

彼女は両手を背中に回して一歩後ろにさがる。

「『いつか会えたら』のほうがいい」

バスのドアが開いたので、男性は名刺を引っ込めて乗り込んだ。

「じゃあ。いつかまた」

ドアの閉まるプシューッという音に掻き消されながらも、その言葉は彼女に届いていた。
窓の向こうで、男性は笑顔で手をふる。
泥水を跳ね上げながらバスは遠ざかっていき、すぐに交差点を曲がって見えなくなった。

急に寒々としたバス停で、彼女はふたたびベンチに座る。
すると、ポケットで電話が二回震えた。

『腹減った。牛丼買ってきて。大盛り』

いつもならすぐに駆け出す脚が動かなかった。
急がないと催促のメッセージがくる。
走って届けても、遅いと怒鳴られる。
わかっているのに動けなかった。

雪は量を増し、地面に降りても溶けなくなった。
泥にまみれた道が、白く塗り変わっていく。

バスがやってきて、彼女は乗り込んだ。
あたたかい空気に身体から力が抜ける。

電話がまた震え出す。
今度はなかなか止まらない。
返信しないから、焦れて電話してきたのだろう。

ポケットから取り出して、その着信を切った。
そのまま番号を拒否に設定し、メッセージのほうもブロックすると、またポケットにしまう。

曇った窓ガラスの向こうには、とりどりのイルミネーションがぼんやりと見えた。






end.



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