「あの、すみません」

中井はカウンターに向かい、そこに立つスタッフに笑顔で声をかけた。

「はい」

「連絡先おしえてください」

これほど唐突でストレートな口説き文句を、碧は聞いたことがない。
唖然とする女の子と碧をよそに、中井は変わらない笑顔で返答を待つ。

「申し訳ありません。個人情報は、ちょっと……」

「わかりました。お時間取らせてすみません。ありがとうございました」

女の子に深く頭を下げたあと、カウンターから小走りで戻り、中井は今度、碧に向かって頭を下げる。

「すみません! お力になれませんでした!」

「はあ!? 俺!?」

「椎野さん、さっきからあの子のことずっと見てたので」

「……見てた、かなあ?」

「彼女を作るには、まず連絡先を聞いてデートすることです」

「それはそうかもしれないけど、あんないきなり……」

「聞くだけタダですから。失うものは何もありません!」

失うものは何もないかもしれないが、社会人として身につけるものはいろいろありそうだ。

碧は姿勢を正し、先輩然とした態度で中井と向き合う。

「気持ちはありがたいし、中井くんはそれでいいかもしれない。でも、突然連絡先を聞かれたひとの気持ちも考えたほうがいいよ。怖いって感じるひともいるんだから」

「わかりました。すみません」

「それに、こういうことは自分でやらないと意味がない」

「差し出がましいことをして、重ね重ねすみませんでした」

しょぼんと肩を落とした後輩に、碧が罪悪感を覚えたとき、突然中井が腕時計を見ながら立ち上がった。

「忘れてた! 日本シリーズ!」

わずかに残ったキャラメル・ラテを一気に飲んで、バタバタと帰り支度をする。

「すみません! お先に失礼します!」

「ああ、うん。気をつけて」

店を飛び出した中井は、街を自転車で駆け抜けていく。
窓の外を通るとき、笑顔で手をふるので、碧もちいさく手をふり返した。