そんなわたしに、夫は一転してしずかなやさしい口調で迫った。

「怒りで引っ込みつかないのは悪い癖だよ。素直にならないと、本当に大事なものを失うことだってあるんだ。俺と、本当に離婚したい?」

生まれたときから根が素直なこの人にはわからない。
素直になることが、どれほど難しいのか。
たとえ大事なものを失っても、素直になれない人間は世の中にたくさんいるのだ。

でももし、本当に離婚されちゃったらどうしよう。
こんな嫉妬深くて、怒りっぽくて、短慮で、素直じゃないわたしなんて、いつ見放されてもおかしくない。
この中途半端な離婚届に、夫がきちんと記入しちゃったらどうしよう。

「離婚…………したくない」

言葉よりも涙のほうが雄弁だった。
浮気を疑ったときでさえ我慢した涙は、わたしの制止など聞かず、夫の元へと走り出す。

「すきです~~~~」

声をあげて泣きじゃくるわたしに、夫は「情緒不安定だなあ」と、ティッシュを五枚つかんでさし出した。

「このレターセットだけどね、」

ティッシュから目だけ上げて、涙でぼやけた夫を見る。

「間違って買ったの」

「はあ?」

夫はレターセットから一枚だけ取り出して、それを折る。

「これね、こうやって折って、ハガキみたいにして出すやつらしいんだ。それ知らないで買っちゃって、書いてから気づいた。仕方ないから捨てたよ、それは。だから一枚足りないの。ちゃんとしたやつ、さっき買い直してきた」

「誰に出すつもりだったの?」

夫は恥ずかしそうにかめるんに顔を埋める。

「俺が手紙書こうなんてひと、ひとりしかいないでしょ」

「……わたし?」

「『男のひとから手紙なんてもらったことない』『いいなー』って言ってたじゃない」

「言ったっけ?」

「誕生日には間に合わなかったし、もうバレちゃったから、この話はナシ! 全部忘れよう!」

ビリビリと細かく離婚届を破いてからゴミ箱に捨て、夫はようやくスーツを着替え始めた。

「手紙、ほしい」

夫のワイシャツをくしゃりと握ってねだる。

「ええ! いやだよ、もう恥ずかしい!」

「ほしい! 絶対ほしい!」

「やだって!」

「今日のわたしの怒りはどうしてくれるのよ! 具合悪くなって仕事は休んだし、ハンバーグなんてみっちり一時間もこねてたんだから、手紙くらい書いてよ!」

「えー、勝手に誤解しただけじゃん……」

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