「鈴。」


妻が頭を上げると、達也は改めて呼びかけた。


「はい。」


「今日、君に来てもらったのは、こうやって、お互い頭を下げ合う為じゃない。なんでこんなことになったのか、君の本当の気持ちを、そしてこれからどうしたいのかを率直に話して欲しかったからだ。そしてもちろん、俺の気持ちも聞いてもらう為だ。」


達也がそう言うと、鈴は真剣な表情で頷いた。


「まず・・・これだけは聞いておかなきゃならない。今の鈴にとって、高橋隆之介という男は、どういう存在なんだ?」


「尊敬しています。」


「好意を持ってるんじゃないのか?」


「好きか嫌いかと言われれば、間違いなく・・・好きです。」


伏し目がちに、しかしはっきりとした妻のその答えに、達也の心は、早くも折れそうになる。そんな自分の心を懸命に励ましながら、妻の言葉に耳を傾ける。


「高橋さんの仕事に対する情熱、私達他社の社員にも臆せず発揮されるリ-ダ-シップ、そしてその合間に見せる気遣い・・・あの人の全てが心地よかったです。憧れて、尊敬して・・・その思いがやがて恋心に昇華してしまいました。あなたに申し訳ない、あなた以外の人に、そんな思いを向けることは許されない。そんなことはわかり切っていました。でもそう思えば思うほど・・・あの人への想いは募る一方になって行ってしまいました。このままではいけない、あの人から離れなきゃ。そう思って、退職を考えました。」


「・・・。」


「私は、不倫が原因で、自分の両親の関係が無残に崩れていくのを、この目で見ました。あの気丈な母が、父の裏切りにしばらく泣き暮らしていた姿に胸を痛めました。結婚直前に再会した父は私に言いました。『どんな理由があろうと、不倫はした方が醜い裏切り者だ。お前は私のように絶対になるな。』と。私は絶対に自分の両親のようになりたくなかった。あなたのご両親のように、結婚してから何十年経っても、仲睦まじく、そしてお互いのことを人に惚気合える、私はあなたと、そんな夫婦でいたかったんです。」


鈴の声が、部屋に響く。訴えるように言葉を紡ぐ妻を、達也はただ黙って見つめている。


「それでも、あの人への想いは消えなかった。年末に食事に誘われて、絶対に行ってはいけないとわかっていたのに、OKしてしまった。乗ったことのないような高級外車に乗せられ、行ったこともない高級フレンチレストランでご馳走になり、ああいよいよ口説かれてしまうんだ、どうしようと思っていたら、『僕の会社に来てくれないか』って、全然予期しない言葉を掛けられて・・・。『はい』って即答しないようにするのに、その時は必死だった。」


「もう・・・わかった。」


ついに達也が絞り出すように、声を上げた。その声に鈴は一瞬、息を呑むと、すぐに目を伏せた。