<ブー、ブー、ブー>

突然、桜木由子(さくらぎ・ゆず)の携帯電話が振動した。
━━桜木由子、24歳、身長161㎝。
栗色のショートカットに大きな眼が特徴の、なかなかの美女である。
東京でタレント事務所に所属している。

<お母さん>
と画面に表示されている。

「もしもし……。」
由子は、通話口と口元を手で覆い、小声で電話に出た。

『由子?』
元気のないその声の持ち主は、母、桜木紀子(さくらぎ・のりこ)である。
━━桜木紀子、42歳。身長159㎝。
肩までのウェーブのかかった髪に、切れ長の眼の女性だ。

「あと30分くらいで象潟(きさかた)の駅に着くから……。」
由子は、周りを気にしながら、
「気を確かにね……。」
と言った。

『由子……。』
紀子は涙声で、
『間に……合わなかったわ……。』
と言った。

「……。」
由子は言葉を失った。


━━2020年6月21日、日曜日……。

由子は、JR羽越(うえつ)線に乗っていた。
東京から飛行機や電車を乗り継いで、約5時間……。

秋田県にかほ市にある象潟駅……。
そこが由子が生まれ育った町である。

高校卒業と同時に上京したので、この電車に乗るのは5年ぶりだった。


<プルルルル>

━━2020年6月20日、土曜日の夕方……。
突然、由子の携帯が鳴った。


「もしもし?」
由子は電話に出た。

『もしもし……。』
紀子は押し殺したような声で、
『お母さんだけど……。』
と言った。

「急にどうしたの?」
由子は訊いた。

『お父さんが……。』
紀子は少し間を置いて、
『病院に運ばれたの……。』
と、呟くように言った。


━━神社の階段から転落したようだ……。

由子はタレントではあるが、全くといっていい程、売れていない。

クイズ番組アシスタントの仕事の時は、賞品等をMCの前に、ワゴンで押して持って来るだけの、名前も紹介されないような、ほんの一瞬の出演だったり……。
2時間サスペンスの仕事が来たと思ったら、犯人役の役者が銀行に立てこもった時の、大勢の人質役の一人だったりと……。
明らかに、由子の思い描いていたタレントとは、ほど遠いものだった……。
一応、10月放送予定の単発ドラマでは、脇役ではあるが、初めて台詞ありの役を貰えた。
来月から撮影予定であるが、スケジュールは空白が多い……。

なので、副業で飲食店でアルバイトをしていた。

副業とはいえ、飲食店のアルバイト収入は、平均月収20万円を超えている。
一方、タレントでの平均月収は、約2万円……。
どちらが、本業なのかというレベルだ。

今回、秋田に戻る為に、休暇のお願いの連絡を、それぞれにしたが、タレント事務所のスケジュール調整よりも、アルバイト先のシフト調整の方が苦労したくらいだ。

そして今朝、始発で秋田に戻った。
その象潟駅に、あと30分くらいで着くという時に、先程の電話を受けたのだ。

父、桜木勇作(さくらぎ・ゆうさく)とは、上京してから一度も、会話や手紙のやり取りをしていない……。

━━桜木勇作、享年60歳。身長168㎝。
妻の紀子とは18歳離れている……。

勇作が亡くなった6月21日は、父の日だった……。