――紅が信長と退室し、長い時が経った。

「帰蝶様、傷の手当てにしては、ちと長すぎませぬか? お志乃が申すには、何やら呻き声がしたとのこと……」

(打撲が思いのほか酷いのやも知れぬ)

(それとも……久しぶりの訪問ゆえ、男同士で話があるのであろう)

「話……と仰いましたか? 実は家臣の間でこのような噂があるのです」

(噂とな?)

「御殿様は男色であるとのお噂が……。その証拠に帰蝶様との夜伽は、もう何年もございませぬ。紅殿は美しき殿方。想いを寄せる侍女は数知れずというに、紅殿も女に目もくれず独り身でございます。御殿様の部屋で紅殿と2人きりで過ごされるとは、ますます噂の火種となりましょう」

 あの信長が……
 男色……!?

 まさか……!?

(多恵、殿に対して無礼であるぞ)

 私の口話と身振り手振りで、短い会話なら読み取れる多恵は、口をへの字に曲げ不満そうに「申し訳ございませぬ」と、頭を垂れた。

 私がお世継ぎを生まないことで、様々な噂が流れていることは知っている。

 信長が心を動かされ、通い詰めている女性が数あることも知っている。

 信長と体の関係がなくても、私達は夫婦だ。夫の色恋沙汰を聞き、平気な妻はいない。

 ――暫くして信長と紅が部屋に戻ってきた。紅はいつもと明らかに様子が異なっていた。

 いつも凛としている紅が、落ち着きをなくし、私と視線を合わせようともしない。

「帰蝶よ。紅は今宵限りでそなたの護衛の任を解き、わしの側に仕えさせることとあいなった。そなたの護衛には剣術が出来る侍女を仕えさせる。よいな」

(はい。紅殿も異論はないのじゃな)

「はい。於濃の方様には長きにわたりありがとうございました」

(わらわこそ、礼を申す。長きにわたり大儀であった)

 紅の眼差しが……
 紗紅の眼差しと重なる……。
 
 長い間、苦楽を共にした家族と離れ離れになってしまうような寂しさに襲われる。

 紅は……
 本当は女性で、紗紅なの……?

 そう問いたかったが、信長の鋭い眼差しが怖くて、問うことは出来なかった。

 紗紅がこの地にタイムスリップし、男と偽り信長に仕えているのなら、その秘密を私が皆に知らしめることは、即ち、紅の命をも危険に曝すこと。

 不確かなことを、口にすることは出来ない。