帰蝶が立ち上がる寸前、襖が勢いよく開いた。そこには紋付袴ではなく、赤い半着に黒のたっつけ袴を穿いた信長の姿。

 顔はブスッとし、見るからに不機嫌な様は、とても花婿とは思えない。

 本当にガキだ。
 よくこれで城主が務まるな。

 蝮と恐れられている斎藤道三が、いつ刀を抜くかと、あたしは内心ヒヤヒヤしながらその動向を見つめた。

「信長様、なんという出で立ち。祝言であるぞ。身形を整えて参られよ!」

 平手は沸騰したやかんの如く、癇癪を起こしている。平手の激昂に、斎藤道三は苦虫をかみつぶしたように口を一文字に曲げ、文句も言わず座り直した。

 斎藤道三の態度にあたしは違和感を覚えたが、言葉を話せない帰蝶に負い目があるからだと解釈した。

 信長は斎藤道三に詫びるわけでもなく、威張りくさり、平手を見下ろしこう言い放った。

「平手、身形などどうでもよいではないか。これは和睦のための祝言なり。三三九度の盃を交わせば、我らは夫婦(めおと)となる。そうであろう、帰蝶」

 信長は帰蝶の隣にドカッと腰を下ろし、帰蝶の顎を指先で持ち上げ、一瞬目を見開いた。あまりの美しさに見とれているようにも思えた。

 こちらから帰蝶の表情は見えないが、美しい唇が(はい)と動く。信長の無礼を(とが)めることなく、帰蝶は信長に三つ指をつき、深々と頭を下げた。

 謙虚で美しい姿に、斎藤道三をはじめ、その場に同席していた者達が息をのむ。輿入れ前に、斎藤道三の娘は気が強いと噂されていたが、そうではなかったようだ。

 もしかしたら、信長はわざと祝言に遅れあのような恰好で現れ、帰蝶を怒らせ、この祝言をぶち壊すつもりだったのかも知れない。

 だが、その思惑はまんまと外れた。帰蝶の振る舞いを目の当たりにした信長は、バツが悪そうに視線を逸らした。