【紗紅side】

 上様が地下通路に入られたことを見届け、光秀に声を掛けた。

「お待ち下さい。明智殿……」

 光秀はゆっくりと振り返る。

「紅殿は殿方ではなく、於濃の方様の妹君であらせられると伺いました。於濃の方様の妹君ならば、明智光秀の妹も同然。だが、明智軍の兵に見つかればただでは済むまい。そなたも早く逃げるのだ」

「於濃の方様は……」

「於濃の方様は無事でございます。天王山の麓山崎にて匿っております。どうかご安心下さい」

「明智殿、姉のこと、どうか宜しくお願い申しあげます。どうか……明智殿もご無事で」

 光秀はあたしに優しい眼差しを向けた。

「於濃の方様を悲しませることはしないと申したであろう。紅殿、美濃からの伝言じゃ。『信忠も必ずや助けるゆえ、紗紅も生き延びよ』とな」

「……美濃」

 美濃の言葉に涙が溢れ出す。
 光秀はあたしに背を向け、大声でこう叫んだ。

「織田信長は燃え盛る殿中にて自害! 我が軍の勝利なり! 兵を引き上げよ! 撤収じゃー!」

「「おー!」」

 本能寺周辺より、明智軍の歓声が上がる。

 バキバキと音を鳴らし、柱や天井が燃え上がる。

 あたしは隠し扉がある殿中に引き返すものの、すでに周囲は火の海となり、天井から火の粉が舞い、白い煙が充満し前方が見えない。

「……こほ、……こほ」

 炎の熱と煙に噎せながら、這うように隠し扉に手を掛け、狭い通路に転がり落ちた。

 ――と、同時に、ドンッと地面が突き上がり縦揺れがした。ぐらぐらと激しい横揺れとなり壁に亀裂が走る。目の前の通路が陥没し道を絶たれる。

 ――地震……!?
 それとも……本能寺の地下にある火薬庫が爆発……!?

 隠し扉の入口から煙が流れ込み、呼吸することもままならない。

『紅! 紅はどこだーー……!』

 遠くから、信長の声がした。

「……こほ、こほ。上様……」

『すぐに助けに行く! そこで待っていろ! 動くでないぞ!』

「……なりませぬ! 上様は早く外へ! 俺も直ぐに……。直ぐに……」

 再び、ドカンッと大きな揺れが起こった。

『……紅! ……紅!』

 ――愛しき人の声が……

 だんだん小さくなる…………。

 視界は白い煙に覆われ……

 もう何も見えない…………。

『さくーー……』

 最後に鼓膜に届いた声は……。

 あたしの……名前だった……。

 ――信長様……。

 あたしの名前を呼んでくれたんだね。

 「のぶ……なが……さま……」

 爆発音とともに、天井が大きな音を立て崩れ落ちた。