――“甲州征伐による諏訪法華寺の祝賀の席で、参加諸将に対する論功行賞が発表された。”

 信長は徳川家康(とくがわいえやす)に駿河国を。滝川一益(たきがわかずます)に上野国を与えた。その他の参加諸将にも、功績を挙げた者には続々と領地を与えた。

 ――そして……。

 “明智光秀所領の丹波と近江を没収し、出雲と石見を与えた。”

 出雲と石見はいまだに毛利領にある。信長は光秀の所領を没収しただけではなく、皆の前で光秀のプライドを粉砕した。

 歓喜に沸く祝賀の席で、光秀は主君である信長にこう述べた。

「上様におかれましては、ここまでになられたことをお慶び申し上げます。これで我らも骨を折った甲斐がございました。ですが、所領没収とはあまりにも理不尽ではござりませぬか」

 これまで信長に忠義を尽くし、功績を挙げてきたという自信が、光秀を暴挙に駆り立てる。

 だがその発言により、その場は一瞬にして凍りつき、信長の怒りの導火線に火を点けることとなった。

「明智光秀よ。貴様に何の功があったと申すのだ!」

 所領を没収されたことの不満を口にし、甲州征伐は己の功績だと言わんばかりの発言に、信長の怒りはついに爆発する。信長は衆人の前で光秀に容赦なく暴行を加えた。

 「上様! お止め下さい! 上様!」

 あたしと蘭丸は必死で信長を止める。
 だが信長の怒りはそれだけでは治まらなかった。

「貴様がこのわしに何をしたか、胸に手を当てよく考えよ」

 額から血を流し愕然とする光秀に、信長は冷たく言い放った。この時、信長に対する光秀の忠義が、憎しみへと色を変えた。



 ――同年、5月。
 信長は光秀に新たな任務を与えた。

「徳川家康殿の接待役を命ずる」

「……接待役でございますか?」

「駿河国加増の礼と甲州征伐の祝勝会に、安土城に参られることとなっている。手厚く持てなすように。よいな」

 光秀は信長の信頼回復のために、徳川家康を誠心誠意持てなしたが、信長は不満を露わにした。

 もはや、光秀がどんなに尽力し功績をあげようと、信長が正当に評価することはなかった。

 あたしは光秀の謀反を回避するために、信長に助言したが、信長は「女が政治に口を挟むな」と、耳を傾けなかった。

「上様、羽柴秀吉(はしばひでよし)殿より使者が参っております」

「秀吉からの使者とな」

 備中高松城攻めを行っていた秀吉の使者から、援軍の依頼を受けた信長は、徳川家康の接待役をしていた光秀を部屋に呼びつけた。